隣松寺
りんしようじ
[現在地名]弘前市西茂森二丁目
西茂森町禅林街三十三ヵ寺の一つ。長勝寺を主座とする上寺の南側奥にあり、長勝寺と陽光院の間にある。蟠竜山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦如来。もと長勝寺客末寺。開山は梅英春香。寺禄一〇〇石。
長勝寺並寺院開山世代調(長勝寺蔵)によれば、津軽地方における曹洞宗大源派の本寺で、永正一七年(一五二〇)賀田村(現中津軽郡岩木町)に創立された。後一時廃退したが、弘治年間(一五五五―五八)に花巌春公が私田を寄付し、仏殿などを造営する一方、木庭袋伊勢守が元のごとく繁栄させた。
隣松寺
りんしようじ
[現在地名]豊田市幸町 隣松寺
稲荷山と号し、浄土宗、本尊阿弥陀如来。上郷地区の浄土宗の本山格である。承和一〇年(八四三)の創建と伝え、もと天台宗道場であった。仁治元年(一二四〇)浄土宗に転宗したという。また一四世紀末頃入寺した蓮蔵忠阿の時期に転宗ともいう。永禄六年(一五六三)の家康書状写(伊予田家文書)に
<資料は省略されています>
とあるように、一向一揆の拠点である上野城の酒井忠尚を、家康が攻撃した際の拠点に隣松寺があてられた。天正八年(一五八〇)の徳川家康寺領安堵状(隣松寺蔵)に「参州上野隣松寺領之事」として「田地二段 上野領」「田五段 鴛鴨領之内」「畠六段 長沢領之内」とある三ヵ所と、「寺家門前棟別四分一并押立人足、其外諸役免許領掌畢」とあるような諸役の免除を安堵している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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