日本歴史地名大系 「雲林院跡」の解説
雲林院跡
うりんいんあと
〔紫野院〕
初め淳和天皇の離宮として創建され、泥濘池
、羅
猟水鳥
、御
紫野院
」とみえ、その後同九年四月一一日に「鸞駕幸
紫野院
、御
釣台
、院司献
物、命
陪従文人
賦
詩、御製亦威、賜
禄有
差、新択
院名
、以為
雲林亭
」とあり、このとき雲林亭と改称された。同書には歴代天皇・皇后などの行幸・遊宴の記事が散見し、天長九年四月一四日の淳和皇后正子内親王の行啓には耕田の礼が催され、農業の風を覧じている。雲林亭は次の仁明天皇の代に皇子常康親王に伝領されて雲林院ともよばれ、貞観一一年(八六九)二月に親王が出家して仏寺となり、遍昭に付属された。元慶八年(八八四)遍昭の奏請により官寺となり、仁和二年(八八六)八月、当時遍昭が
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報