紫野(読み)ムラサキノ

デジタル大辞泉 「紫野」の意味・読み・例文・類語

むらさきの【紫野】

京都市北区の南部の地名大徳寺今宮神社がある。

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精選版 日本国語大辞典 「紫野」の意味・読み・例文・類語

むらさき‐の【紫野】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 紫草を栽培している野。
    1. [初出の実例]「あかねさす武良前野(ムラさきの)行き標野行き野守は見ずや君が袖ふる」(出典万葉集(8C後)一・二〇)
  2. [ 2 ] 京都市北区南部の地名。平安時代は平安京七野の一つに数えられた野原で、朝廷の狩猟地となった。今宮神社(紫野社)・大徳寺・船岡山などがある。住宅地。歌枕。
    1. [初出の実例]「野は嵯峨野さらなり。〈略〉宮城野。粟津野。小野。むらさきの」(出典:枕草子(10C終)一六九)

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日本歴史地名大系 「紫野」の解説

紫野
むらさきの

平安京の北方一帯、愛宕おたぎ郡の野。洛北七野の一つ。現在は大徳だいとく寺一帯をいうが、当初はほかの七野のいくつかを含む広域を占めていたと思われる。「新撰六帖」に

<資料は省略されています>

とあり、紫野が朝廷の禁野(しめの)であったと思われる。「三代実録」貞観一四年(八七二)一二月一五日の太政官符に、平野ひらの神社の社地の四至を「東限荒見河、西限社前東道、南限典薬寮園、北限禁野地」と記す禁野や典薬寮園というのもこれと関係あるか。

紫野は「類聚国史」に延暦一四年(七九五)一〇月一日に桓武天皇が「遊猟於紫野」と出るのが早く、嵯峨・淳和両天皇の時代にも遊猟地として行幸した記事が散見する。また紫野に葬られた円融院も、子の日にここで遊んでいる(→船岡山

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改訂新版 世界大百科事典 「紫野」の意味・わかりやすい解説

紫野 (むらさきの)

歌枕。現在の京都市北区紫野で,船岡山大徳寺を中心とする地域。平安京北郊で宮廷の遊猟地であった。賀茂斎王の御所紫野斎院があったので,それにちなむ歌が多い。〈白砂の豊みてぐらをとりもちていはひぞそむる紫の野に〉(《後拾遺集》巻二十,藤原長能)など。また斎院御所近くを流れていた有栖川も歌枕である。船岡山の西,往古葬送地として知られた蓮台野も紫野の一部であった。大徳寺の地にあった雲林(うりん)院は,はじめ淳和天皇の離宮として創建され,紫野院と称された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「紫野」の意味・わかりやすい解説

紫野
むらさきの

京都市北区南部の地区。平安時代は猟場としての禁野(きんや)であり、嵯峨(さが)天皇、淳仁(じゅんにん)天皇が行幸した記録がある。1324年(正中1)大燈(だいとう)国師が建立した臨済(りんざい)宗大徳寺派の大本山大徳寺があり、大仙(だいせん)院、高桐(こうとう)院などの塔頭(たっちゅう)や名庭がある。大徳寺の北には「やすらい祭」で知られる今宮神社(いまみやじんじゃ)がある。そのほか、織田信長を祀(まつ)った建勲神社仏教大学がある。

織田武雄

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「紫野」の意味・わかりやすい解説

紫野
むらさきの

京都市北区の一地区。船岡山の北方にある低い洪積台地に位置。臨済宗大徳寺派の大本山大徳寺や今宮神社がある。京都市の住宅地区の一つ。

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デジタル大辞泉プラス 「紫野」の解説

紫野

京都府京都市、本家玉寿庵が製造・販売する銘菓。和三盆の落雁で中に大徳寺納豆が入っている。

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