青山熊治(読み)アオヤマ クマジ

20世紀日本人名事典 「青山熊治」の解説

青山 熊治
アオヤマ クマジ

明治〜昭和期の洋画家



生年
明治19(1886)年5月22日

没年
昭和7(1932)年12月11日

出生地
兵庫県朝来郡生野町

学歴〔年〕
東京美術学校西洋画科中退

主な受賞名〔年〕
白馬会展白馬賞(第13回)〔明治43年〕「アイヌ」,文展2等賞(第5回)〔明治44年〕「金仏」,帝展特選(第7回)〔大正15年〕「高原」,帝国美術院賞〔大正15年〕「高原」

経歴
兵庫県生野町に表具屋の五男として生まれる。小学校卒業後、大阪で弁護士の書生などを経て上京、明治36年洋画家高木背水の住み込み、37年東京美術学校に入学。43年「アイヌ」で第13回白馬会展白馬賞、44年「金仏」で第5回文展2等賞を受賞。大正3年渡欧、貧窮生活を送りながら欧州を放浪し、絵画修業を重ねた。11年帰国、15年「高原」で第7回帝展特選、帝国美術院賞を受賞。その後も帝展を舞台に堂々とした構図大作を発表した。昭和4年第一美術協会創設会員。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

百科事典マイペディア 「青山熊治」の意味・わかりやすい解説

青山熊治【あおやまくまじ】

洋画家。兵庫県生野の生れ。東京美術学校中退。1910年《アイヌ》で白馬賞。1914年渡欧,1922年までパリで生活。ルノアール影響を受け,のちセザンヌピュビス・ド・シャバンヌに近づいた。帰国後帝展審査員となる。1932年九州大学の壁画制作中,旅先で没。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青山熊治」の解説

青山熊治 あおやま-くまじ

1886-1932 明治-昭和時代前期の洋画家。
明治19年5月22日生まれ。40年東京府勧業博覧会で「老坑夫」が2等賞。大正3年から11年まで滞欧。15年帝展で「高原」が特選となり,昭和2年帝国美術院賞。のち帝展審査員。4年第一美術協会を創立した。昭和7年12月11日死去。47歳。兵庫県出身。東京美術学校(現東京芸大)中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「青山熊治」の解説

青山 熊治 (あおやま くまじ)

生年月日:1886年5月22日
明治時代-昭和時代の洋画家
1932年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む