ルノアール(読み)るのあーる(英語表記)Jean Joseph Étienne Lenoir

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルノアール」の意味・わかりやすい解説

ルノアール
Renoir, Pierre-Auguste

[生]1841.2.25. リモージュ
[没]1919.12.3. カーニュ
フランス画家。フランス印象派(→印象主義)の代表的画家。仕立屋の家に生まれ,4歳のとき一家でパリに移り,セーブル製陶工場で徒弟として働いた。1862年シャルル・グレールのアトリエに入り,そこでクロード・モネ,アルフレッド・シスレーらと交遊。1864,1865年サロンに出品。その後,印象派の絵画運動に加わり,1874年第1回印象派展に参加し,以後 3回出品。1881~82年イタリアへ旅行し古典絵画の影響を受けて,1883年頃から厳格な線描と淡い色彩による古典様式の絵を描いた。しかし数年後再び新鮮な色彩感が現れるようになり,虹色,オレンジ,赤を主調とした人物,風景を描き,色彩画家として独自の画風を発展,大成させた。1895~96年からしだいに裸婦連作が多くなり,晩年は彫刻の制作にも携わって,豊満な女性像を残した。生前住んだ南フランスのカーニュの別荘コレットは,今日ルノアール美術館となっている。主要作品に『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』(1876,オルセー美術館),『シャルパンティエ夫人と子供たち』(1878,メトロポリタン美術館),『浴女たち』(1918~19,オルセー美術館)などがある。

ルノアール
Renoir, Jean

[生]1894.9.15. フランス,パリ
[没]1979.2.12. アメリカ合衆国,カリフォルニア,ロサンゼルス
フランスの映画監督。画家ピエール・オーギュスト・ルノアールの息子。1924年映画界に入り,同年『水の娘』La Fille de l'eauで監督を務めた。以後『女優ナナ』Nana(1926),『トニ』Toni(1934)などで地位を確立,『ランジュ氏の犯罪』Le Crime de M. Lange(1936),『人生はわれらのもの』La Vie est à nous(1936),『どん底』Les Bas-fonds(1936),『大いなる幻影』La Grande Illusion(1937),『ゲームの規則』La Règle du jeu(1939)を発表し,アメリカ合衆国で『南部の人』The Southerner(1945),インドで『河』The River(1951),イタリアで『黄金の馬車』Le Carrosse d'or(1952),フランスに戻り『草の上の昼食』Le Déjeuner sur l'herbe(1959)などを撮った。

ルノアール
Lenoir, (Jean-Joseph-) Étienne

[生]1822.1.12. ミュシーラビル
[没]1900.8.4. ラバレンヌサンイレーヌ
ベルギー系のフランスの技術者。 1860年,無圧縮・電気点火方式の内燃機関製作成功。この機関熱効率は低かったが,運転が円滑で評判がよく,揚水印刷などに,広く用いられた。 62年にはこの機関を用いて自動車をつくったが,10km走るのに2~3時間かかった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルノアール」の意味・わかりやすい解説

ルノアール(Jean Joseph Étienne Lenoir)
るのあーる
Jean Joseph Étienne Lenoir
(1822―1900)

フランスの機械技術者。ルクセンブルクに生まれ、1838年パリに出た。1859年、ガスと空気の混合気体を燃焼させて動かす実用的な内燃機関を発明、翌1860年特許を得た。この機関は、構造的にはシリンダー、ピストン、連接棒、はずみ車などをもち、横型複動蒸気機関と似ていた。気体圧縮装置はなく、混合気体が、適当な瞬間に電気火花によって点火されるもので、その後の内燃機関発達に重要な契機を与えた。ほかに電動機、自記発信機などの発明もある。1870年フランスに帰化した。

[渡辺 伸]

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