ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルノアール」の意味・わかりやすい解説
ルノアール
Renoir, Pierre-Auguste
[没]1919.12.3. カーニュ
フランスの画家。フランス印象派(→印象主義)の代表的画家。仕立屋の家に生まれ,4歳のとき一家でパリに移り,セーブル製陶工場で徒弟として働いた。1862年シャルル・グレールのアトリエに入り,そこでクロード・モネ,アルフレッド・シスレーらと交遊。1864,1865年サロンに出品。その後,印象派の絵画運動に加わり,1874年第1回印象派展に参加し,以後 3回出品。1881~82年イタリアへ旅行し古典絵画の影響を受けて,1883年頃から厳格な線描と淡い色彩による古典様式の絵を描いた。しかし数年後再び新鮮な色彩感が現れるようになり,虹色,オレンジ,赤を主調とした人物,風景を描き,色彩画家として独自の画風を発展,大成させた。1895~96年からしだいに裸婦の連作が多くなり,晩年は彫刻の制作にも携わって,豊満な女性像を残した。生前住んだ南フランスのカーニュの別荘コレットは,今日ルノアール美術館となっている。主要作品に『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場』(1876,オルセー美術館),『シャルパンティエ夫人と子供たち』(1878,メトロポリタン美術館),『浴女たち』(1918~19,オルセー美術館)などがある。
ルノアール
Renoir, Jean
[没]1979.2.12. アメリカ合衆国,カリフォルニア,ロサンゼルス
フランスの映画監督。画家ピエール・オーギュスト・ルノアールの息子。1924年映画界に入り,同年『水の娘』La Fille de l'eauで監督を務めた。以後『女優ナナ』Nana(1926),『トニ』Toni(1934)などで地位を確立,『ランジュ氏の犯罪』Le Crime de M. Lange(1936),『人生はわれらのもの』La Vie est à nous(1936),『どん底』Les Bas-fonds(1936),『大いなる幻影』La Grande Illusion(1937),『ゲームの規則』La Règle du jeu(1939)を発表し,アメリカ合衆国で『南部の人』The Southerner(1945),インドで『河』The River(1951),イタリアで『黄金の馬車』Le Carrosse d'or(1952),フランスに戻り『草の上の昼食』Le Déjeuner sur l'herbe(1959)などを撮った。
ルノアール
Lenoir, (Jean-Joseph-) Étienne
[没]1900.8.4. ラバレンヌサンイレーヌ
ベルギー系のフランスの技術者。 1860年,無圧縮・電気点火方式の内燃機関の製作に成功。この機関は熱効率は低かったが,運転が円滑で評判がよく,揚水や印刷などに,広く用いられた。 62年にはこの機関を用いて自動車をつくったが,10km走るのに2~3時間かかった。
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