音羽城跡(読み)おとわじようあと

日本歴史地名大系 「音羽城跡」の解説

音羽城跡
おとわじようあと

[現在地名]日野町音羽

音羽の南部、日野川左岸の丘陵台地先端に位置する。大永年中(一五二一―二八)に破却されるまで蒲生氏の主城であり、日野蒲生城・蒲生館・智閑ちかん城などの異称もある。当城の位置する日野谷は甲賀郡を経て伊勢へ通じる往還が通る交通の要衝で、相当堅固な城館であったらしい。「蒲生旧趾考」によれば応永二二年(一四一五)蒲生宗熙による築城で、宗熙は甲賀より移住、その後下野守秀綱―貞秀と継承したとされるが定かではない。「大乗院寺社雑事記」明応元年(一四九二)一〇月二六日条に、「公方今日生館ニ可有入御之由云々」とみえ、六角高頼の征討(第二次)にあたって将軍足利義材(義稙)金剛寺こんごうじ(現近江八幡市)より当城に移ろうとしたが、高頼はすでに伊勢に走っていたことから中止となっている。当時の城主蒲生貞秀(智閑・信楽院)。貞秀は蒲生氏支流和田氏の出であるが、康正元年(一四五五)に没した宗家秀綱のあとを継ぎ(蒲生郡志)、蒲生氏中興の祖とされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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