須々岐水神社
すすきがわじんじや
[現在地名]松本市里山辺 薄町
薄町村の上手に西面し薄川の右岸台地の中央に広い社地を占めて鎮座し、境内を用水堰が通っている。江戸時代は須々岐大明神とよばれ、旧郷社。「三代実録」貞観九年(八六七)三月一一日条に従五位下を授けられたとみえる須々岐水神はこの神社の祭神である。現祭神は建御名方命(諏訪明神)・素戔嗚尊である。山辺郷の中の下金井・湯ノ原・藤井・兎川寺・荒町・新井・上金井・薄町八村の総鎮守である。この神社には治水伝説がある。五月五日にはお船祭が行われ、各村から舟形の舞台車(鉾)を一基ずつ色とりどりの幕を張りめぐらして仕立て、各村を一巡する。湯ノ原のお船は立川和四郎が安政五年(一八五八)に作ったといわれ、獅子舞の囃子・舞台車は大切にされている。
須々岐水神社
すすきみずじんじや
現在屋代町の中央にあって、速秋津彦命ほか九神を祀る。「長野県町村誌」によれば「寛延四年松代町諏訪大明神の神官内山播磨なる者、神祇管領吉田家へ請願し、諏訪大明神へ式内祝神社たるの神宣告文を申請けたり。且領主真田家にして崇敬ある神社たるを以て、本村之に抗する能わず、遂に其式内祝神社の号を奪わる。天明元年閏五月六日、吉田家へ請願し、須々岐水神社・日吉山王宮と神社号を請しに、王宮の号廃せらるに依り、日吉山王宮の五字を削り、須々岐水神社と改称す」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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