須永好
すながこう
(1894―1946)
農民運動家。明治27年6月13日群馬県に生まれる。二町歩経営の自作農の次男。中学中退。日本農民組合の創立以来の指導者。労働農民党、日本労農党、社会大衆党の指導者でもあった。居村新田(にった)郡強戸(ごうど)村では、1926年(昭和1)以降8年間「無産村」とよばれる農民組合主導の村政を築き上げた。37年衆議院当選。42年翼賛選挙で非推薦、落選。戦後、日本社会党中央執行委員。46年(昭和21)には、再建された日本農民組合の初代会長となった。同年衆議院に当選したが、9月11日に急死した。須永地蔵尊が地元に建立されている。
[横関 至]
『須永好日記刊行委員会編『須永好日記』(1968・光風社書店)』▽『農民組合史刊行会編『農民組合運動史』(1960・日刊農業新聞社)』▽『農民運動史研究会編『日本農民運動史』(1961・東洋経済新報社/再刊・1977・御茶の水書房)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
須永 好
スナガ コウ
- 肩書
- 日本社会党中央委員,衆院議員,日農会長
- 生年月日
- 明治27年6月13日
- 出生地
- 群馬県新田郡強戸村大字成塚(現・太田市)
- 経歴
- 大正9年から農民運動に参加し、10年強戸村は小作人組合を結成して組合長。11年日本農民組合(日農)創立大会で関東を代表して理事のひとりとなる。13年日農群馬県連合会創立大会で会長に就任。以後各地の農民運動を指導し、労働農民党にも参加するなど、戦前の農民運動をリードした。戦後は21年日農結成で会長になり、また社会党から衆議院議員に当選した。著書に「須永好日記」がある。
- 没年月日
- 昭和21年9月11日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
須永 好
スナガ コウ
大正・昭和期の農民運動家 日農会長;日本社会党中央委員;衆院議員。
- 生年
- 明治27(1894)年6月13日
- 没年
- 昭和21(1946)年9月11日
- 出生地
- 群馬県新田郡強戸村大字成塚(現・太田市)
- 経歴
- 大正9年から農民運動に参加し、10年強戸村は小作人組合を結成して組合長。11年日本農民組合(日農)創立大会で関東を代表して理事のひとりとなる。13年日農群馬県連合会創立大会で会長に就任。以後各地の農民運動を指導し、労働農民党にも参加するなど、戦前の農民運動をリードした。戦後は21年日農結成で会長になり、また社会党から衆議院議員に当選した。著書に「須永好日記」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
須永好 すなが-こう
1894-1946 大正-昭和時代の農民運動家,政治家。
明治27年6月13日生まれ。大正10年群馬県強戸(ごうど)村小作人組合を結成,組合長として小作料3割減を獲得。昭和12年社会大衆党から衆議院議員に当選した。戦後日本農民組合会長,社会党の衆議院議員となる。昭和21年9月10日国会質問演説中たおれ,翌11日死去。53歳。群馬県出身。太田中学中退。
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須永 好 (すなが こう)
生年月日:1894年6月13日
大正時代;昭和時代の農民運動家。日本社会党中央委員;衆議院議員
1946年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の須永好の言及
【日農】より
…41年まで存続。(3)戦後の全国的単一農民組合 1946年2月,全国的農民組織として結成され,会長須永好,主事野溝勝,顧問賀川豊彦,片山哲,杉山元治郎で発足した。農地改革の根本的改革,食糧供出制の強権発動阻止を中心課題として急速に発展し,組織人員は創立時10万~15万人といわれ,47年6月には129万人に拡大した。…
※「須永好」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」