日本歴史地名大系 「願証寺」の解説
願証寺
がんしようじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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浄土真宗本願寺系の寺。本願寺蓮如の六男蓮淳が,1501年(文亀1)ころに,伊勢桑名郡長島に開創した。美濃,尾張,伊勢地方の本願寺教団を統括し,土岐氏らの有力武士と結んで勢力を振るい,また蓮淳が本願寺10世証如の外祖父であったことから,教団中枢に重きをなした。1559年(永禄2),本願寺が門跡に補されると,翌年院家に列した。74年(天正2),本願寺と織田信長との間に石山合戦が再発すると,信長は願証寺を攻めた。長島一揆は願証寺を中心に,木曾川デルタ地帯に立てこもって抵抗したが敗北し,願証寺は廃絶した。その系譜を引くものは,本願寺派に属する三重県桑名市の旧長島町の願証寺,大谷派に属する岐阜県不破郡垂井町および滋賀県蒲生郡日野町の願証寺がある。日野願証寺には,長島願証寺の裏書をもつ,1537年(天文6)の実如上人画像,39年の方便法身阿弥陀如来絵像が蔵されている。
執筆者:大桑 斉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…室町末には,三河三ヵ寺の布教によって数多くの末寺,道場が生まれた。木曾川の舟乗り,渡りであろうといわれる河野門徒団が出現し,河口に近い長島には一家衆の願証寺が建立されて,尾濃勢門徒の中心となったが,織田信長に対抗して滅びた。なお流域には,津島の天王社をまつるところが多い。…
…石山合戦期に伊勢国長島(現,三重県桑名郡長島町)を中心に蜂起した一向一揆。濃尾三川(木曾川,長良川,揖斐川)の下流域のいわゆる輪中地帯には,15世紀中葉以後真宗本願寺派の教線が進展し,1501年(文亀1)には蓮如の六男蓮淳を住職とする一家衆寺院長島願証(がんしよう)寺が創建された。70年(元亀1)本願寺顕如が諸国に反織田信長の蜂起を指令すると,尾張南西部,美濃南部,伊勢北部の門徒は反信長の武士と連合して願証寺を主将として蜂起し,11月に信長の弟信興を尾張小木江城に攻めて自殺させた。…
※「願証寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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