飛鳥郷(読み)あすかごう

日本歴史地名大系 「飛鳥郷」の解説

飛鳥郷
あすかごう

鎌倉時代にみえる郷名。弘安六年(一二八三)四月五日の大見行定譲状(出羽中条家文書)に「美濃国飛鳥郷」とみえ、行定から子息家綱に当郷地頭職などが譲られている。この相続は同一〇年一〇月八日の関東下知状(大見水原家文書)によって安堵されている。飛鳥郷の比定地については、各務原市蘇原飛鳥そはらあずか付近とする説と、揖斐いび谷汲たにぐみ村西部を流れる揖斐川支流の飛鳥川に着目し、同川上流部の谷汲村の横蔵よこくら地区にあてる説とがある。後者は河川名にのみ根拠を求めているが、前者の各務原市蘇原地内にあてる説では、延喜式内社の一つ飛鳥田あすかだ神社が蘇原清住そはらきよずみ町にあり、蘇原古市場そはらふるいちば町にある式内社加佐美かさみ神社の社伝によれば、当地蘇我倉山田石川麻呂の食邑とされ、その縁により大和国飛鳥の地名を移し、飛鳥田神社をも祀ったという。


飛鳥郷
あすかごう

江戸時代の飛鳥村を遺称地とする戦国期の郷。飛鳥村は明治九年(一八七六)合併を経て現在の下垂木しもたるきの一部となっており、かつての郷域もその一帯と考えられる。永禄一二年(一五六九)正月二六日の徳川家康判物写(記録御用所本古文書)によると、「五石半之飛鳥内一色百弐拾俵弐斗俵也」の地が西郷さいごうの領主石谷政清に与えられている。同一二年四月一五日には、武田信玄今川氏の家臣孕石元泰に「飛鳥郷」内の四〇貫文の地を安堵しているが(「武田信玄判物写」土佐国蠧簡集残篇)、これは武田方による懐柔策とみられる。


飛鳥郷
とぶとりごう

和名抄所載の郷。東急本は「飛取」と表記する。高山寺本・東急本とも訓を欠く。「和名抄」に同名の郷はほかに記載されず、読み・比定地とも未詳。しかし赤穂郡の上記七郷の郷域比定にはいっていない地としては現上郡かみごおり町北部の千種ちくさ川流域、同町北東部の鞍居くらい川流域があり、どちらかに比定すべきであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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