飛鳥(あすか)時代の右大臣。蘇我倉山田石川までが姓、麻呂が名。蘇我臣馬子(おみうまこ)の孫で、倉麻呂(くらまろ)(雄当(おまさ)ともいう。馬子の子)の子。本宗家の鞍作(くらつくり)(入鹿(いるか))との反目から、本宗家討滅計画に加わり、娘の造媛(みやつこひめ)(遠智娘(おちのいらつめ))、姪娘(めいのいらつめ)を葛城(かずらき)皇子(中大兄(なかのおおえ))の妃に入れた。なお娘の乳娘(ちのいらつめ)は軽(かる)皇子(孝徳(こうとく)天皇)の妃とした。蘇我本宗家滅亡後の孝徳天皇の新政権では、右大臣となった。しかし、新政権の下では、吉野に逃げ入った大兄古人(ふるひと)皇子やその一族の処置、東国国司らの成績再審査事件などで、左大臣阿倍内麻呂(あべのうちまろ)やその支持勢力と対立した。その結果、阿倍内麻呂の死の直後の649年(大化5)3月、異母弟の蘇我日向(ひむか)に讒言(ざんげん)され、中大兄の追討を受けることになった。難波(なにわ)から2子法師(ほうし)・赤猪(あかい)を連れて大和(やまと)の山田寺へ逃げ帰った麻呂は、長子の興志(こごし)らの抗戦の意見を退け、妻子らとともに自殺した。
[門脇禎二]
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