食糧メーデー(読み)ショクリョウメーデー

デジタル大辞泉 「食糧メーデー」の意味・読み・例文・類語

しょくりょう‐メーデー〔シヨクリヤウ‐〕【食糧メーデー】

昭和21年(1946)5月19日皇居前広場で行われた飯米獲得人民大会通称。深刻な食糧不足の中で25万人が参加、人民民主政府樹立を要求したが、翌日マッカーサーの「暴民デモ許さず」との声明運動は鎮静化した。

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精選版 日本国語大辞典 「食糧メーデー」の意味・読み・例文・類語

しょくりょう‐メーデーショクリャウ‥【食糧メーデー】

  1. ( メーデーは[英語] May Day ) 食糧危機が深刻化した昭和二一年(一九四六)五月一九日、皇居前広場に約二五万人が集まって行なわれた飯米獲得人民大会とそのデモの通称。

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改訂新版 世界大百科事典 「食糧メーデー」の意味・わかりやすい解説

食糧メーデー (しょくりょうメーデー)

1946年5月19日,人民広場と通称された皇居前広場で約25万人が参加した飯米(はんまい)獲得人民大会。食糧危機突破人民大会とも呼ばれた。同年3月以降,首都圏の食糧遅配は悪化しつづけ,全国的にも20~30日の遅配がみられ,京浜地区で5月に1日平均9名が餓死したとされる。東京,関東各地で生活擁護同盟,食糧管理委員会,人民食糧委員会などがつくられ,隠匿物資摘発,区・市役所などへの要求行動,配給の監視などを行っていたが,2月,これら約300団体が合同して関東食糧民主協議会が結成され,鈴木東民,羽仁説子,加藤修治,原虎一,黒田寿男ら革新政党・労組代表,知識人などが指導部に就いた。この呼びかけで大会が開かれ,大会議長に鈴木東民が選ばれ,デモに移った。途中,参加者代表徳田球一らは皇居に入って天皇に会見を求めた。参加者の一人松島松太郎はプラカードに〈詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ〉と書き,不敬罪で起訴された(第二審で免訴)。代表者らは首相官邸組閣本部前に座り込み,吉田茂の組閣工作反対,食糧危機打開のための人民民主政府樹立などを要求,いったん吉田の組閣を断念させた。これを見た占領軍総司令部は同日,小麦粉の放出を許可し,20日,〈多数の暴民によるデモは秩序ある統治と占領目的を脅かすもの〉と声明して直接弾圧をほのめかし,かつ22日,第1次吉田内閣を成立させた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「食糧メーデー」の意味・わかりやすい解説

食糧メーデー
しょくりょうめーでー

1946年(昭和21)5月19日の宮城(きゅうじょう)前広場での飯米獲得人民大会の通称。敗戦後の深刻な食糧難のなかで、46年5月1日、11年ぶりの復活中央メーデーが50万人を集めて行われた。その実行委員会は、飯米獲得のための食糧メーデー開催を決定。まず5月12日東京・世田谷で共産党員などが中心になって「米よこせ区民大会」を開き、そのデモ隊が赤旗を掲げ、初めて坂下門をくぐり、宮内省に押しかけた。そして5月19日、25万人が宮城前広場に集まった。大会は民主戦線即時結成を決議、また食糧問題に関する天皇への上奏文を可決、デモ行進に移った。その際、プラカード事件(共産党員松島松太郎が「朕はタラフク食ってるぞナンジ人民飢えて死ね」というプラカードを持っていたことが問題になり不敬罪で起訴された)が起こる。代表の徳田球一らは三つに分かれ、宮内省、首相官邸、警視庁へそれぞれ上奏文、決議文を持参した。吉田茂は面会は拒否したものの、組閣を断念した。しかし、翌20日、マッカーサーは「暴民デモ許さず」の声明を発した。それに力を得た吉田は再度組閣にかかり、22日、第一次吉田内閣を発足させたのである。

[宮﨑 章]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「食糧メーデー」の解説

食糧メーデー
しょくりょうメーデー

1946年(昭和21)5月19日,皇居前広場で開催された飯米獲得人民大会のことで,参加者は約25万人。食糧事情の悪化により各地で食糧獲得闘争が展開されていた。参加者は首相官邸と警視庁・検事局に決議文を届けるとともに,天皇宛に食糧の人民管理と民主人民政府樹立の要求書を提出した。翌20日,マッカーサー最高司令官は「秩序なき暴力行為は今後絶対に許容されない」との声明を発し,この声明に支えられるかたちで22日に第1次吉田茂内閣が成立。また「朕(ちん)はタラフク食ってるぞ」などと書かれたプラカードが不敬罪に問われる事件もおきた。

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百科事典マイペディア 「食糧メーデー」の意味・わかりやすい解説

食糧メーデー【しょくりょうメーデー】

1946年5月19日東京の皇居前広場で行われた食糧危機突破人民大会のこと。この年主食の欠配・遅配で全国的な食糧危機が続き,各地で〈米よこせ〉の大会・デモが行われた。4月22日総辞職した幣原(しではら)喜重郎内閣の後継首班が決まらない政治的空白期の中で,約25万人参加の食糧メーデーが国民の食糧危機突破運動を盛り上げた。しかし翌日マッカーサーは警告を発し,それに助けられて第1次吉田茂内閣が成立。→プラカード事件

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旺文社日本史事典 三訂版 「食糧メーデー」の解説

食糧メーデー
しょくりょうメーデー

1946年5月19日,皇居前広場で開かれた飯米獲得人民大会
1946年4月10日の総選挙以来,幣原 (しではら) 喜重郎内閣の後継内閣が成立しない中で約25万人が参加して盛り上がった。翌日マッカーサーは「暴民デモ許さず」と声明書を発表し,まもなく第1次吉田茂内閣が成立した。

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世界大百科事典(旧版)内の食糧メーデーの言及

【不敬罪】より

…こうして起こったのがプラカード事件である。46年5月19日のいわゆる食糧メーデーにおいて,〈国体はゴジされたぞ 朕(ちん)はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ〉という天皇諷刺のプラカードが掲げられていたことをとらえ,当局はこのプラカードの作成者を不敬罪で起訴したのである。しかしこれはかえってGHQに不敬罪の存在を知らせることとなった。…

※「食糧メーデー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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