飯塚琅玕斎(読み)いいづかろうかんさい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「飯塚琅玕斎」の意味・わかりやすい解説

飯塚琅玕斎
いいづかろうかんさい
(1890―1958)

竹工芸家。本名彌之助。栃木県生まれ。幼少より父鳳翁(ほうおう)(1851―1916)に竹技を学び、1926年(大正15)パリ万国博覧会で銅賞を受け、1933年(昭和8)シカゴ万国博覧会に出品大正天皇の即位式用品や、昭和天皇の大礼献上品などの製作をしている。第13回帝展(1932)の竹製筥(はこ)、第15回帝展の竹風爐先屏風(たけふろさきびょうぶ)は特選となり、文展ではしばしば審査員を務め、芸術院会員となり、日本工芸会の理事を務めた。竹工芸界における業績は、精巧できめの細かな竹技と独創的で斬新(ざんしん)な意匠で表現された彼の作品によって、いわば、日常生活用具的竹細工を、美的で鑑賞性に富んだ芸術品に引き上げたことにある。代表作に花籠(はなかご)「銘あんこう」(東京国立近代美術館)、花籃(はなかご)「富貴(ふうき)」(京都国立近代美術館)などがある。

[郷家忠臣]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯塚琅玕斎」の解説

飯塚琅玕斎 いいづか-ろうかんさい

1890-1958 大正-昭和時代の竹工芸家。
明治23年3月15日生まれ。父に竹工技術をまなんで上京。大正14年のパリ万国装飾美術工芸博覧会で銅賞。昭和7年,9年に帝展で特選。竹細工を芸術の域にたかめた。日展の審査員・参事,日本工芸会理事。昭和33年12月17日死去。68歳。栃木県出身。本名は弥之助。代表作に「花籃(かご)・あんこう」「花籃・富貴」など。

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世界大百科事典(旧版)内の飯塚琅玕斎の言及

【竹細工】より

…明治・大正期には江戸時代の伝統を受けつぎ,茶道具などに精巧な作品が作られたが,昭和になって伝統的な技法の中に現代的な感覚と意匠を盛り込む努力がはらわれるようになった。飯塚琅玕斎(いいづかろうかんさい)(1890‐1958)や生野祥雲斎(しようのしよううんさい)(1904‐74)らは伝統の継承と現代的な展開を図った代表的竹工芸家である。
[素材と製法]
 日本に産する竹で通常利用されるものに,マダケ(真竹,苦竹(にがたけ)),メダケ(女竹),ネマガリダケ(根曲竹),モウソウチク(孟宗竹),ハチク(淡竹),ホテイチク(布袋竹,五三竹),シホウチク(四方竹),ゴマタケ(胡麻竹),クロチク(黒竹,紫竹(しちく),烏竹(うちく)),ヤダケ(矢竹),斑竹(はんちく),雲文竹(うんもんちく),煤竹(すすだけ)(苦竹,メダケなどの煤けたもの)などがある。…

※「飯塚琅玕斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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