飾磨・飾万津(読み)しかま・しかまつ

日本歴史地名大系 「飾磨・飾万津」の解説

飾磨・飾万津
しかま・しかまつ

古代からの地名および津名。餝磨津などとも記される。飾万津は古くからの瀬戸内海水運の要衝で、これを中心に平安時代後期には飾磨庄、南北朝時代以降には飾万津別符が存在した。江戸時代の郷帳類では在方が飾万津として高付されているが、町方は姫路城下の外港として港湾都市的性格をもっていた。

〔古代・中世〕

飾磨は歌枕の地としても知られ、「五代集歌枕」や「八雲御抄」などが飾磨川・飾磨市などを歌枕として載せている。「万葉集」巻七に「一に云はく」として「餝磨江は漕ぎ過ぎぬらし天づたふ日笠の浦に波立てり見ゆ」、同書巻一五に「わたつみの海に出でたる飾磨川絶えむ日にこそ吾が恋止まめ」の歌が載る。平安期には曾禰好忠・藤原道経らが飾磨を詠んでおり(「詞花集」など)、ことにかち(濃い藍染)と結び付けることが多く、褐は飾磨の特産であった。飾磨江は飾磨川河口付近の入江と考えられており、「万葉集」巻六に山部赤人が「風吹けば波か立たむと伺候さもらひに都太の細江に浦隠り居り」と詠んでいる都太の細江つだのほそえと同所とされる。「五代集歌枕」などは都太の細江を歌枕とし、勅撰集などにも詠まれている。都太の細江の比定地については、江戸時代の飾東しきとう細江村の南西部、飾西しきさいかまえ村の南東部の船場せんば川河口付近の入江が津田つだの細江と称されていたことから、この付近一帯とされている。このことから、前記歌枕の飾磨川を船場川にあてる説もある。

長保四年(一〇〇二)三月五日、花山法皇が書写山に参詣するため「餝磨津湊」で下船している(「播州円教寺記」円教寺蔵)。飾磨には市が立っており、「千載集」に藤原俊成の「恋をのみしかまのいちにたつ民のたえぬ思ひにみをやかへてん」の歌が載る。建永二年(一二〇七)の「最勝四天王院障子和歌」では、前大僧正が「餝磨市」の題で「いにしへのあ井よりもこき御代なれやしかまのかちのいろをみるにも」と詠んでいる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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