飾西郡(読み)しきさいぐん

日本歴史地名大系 「飾西郡」の解説

飾西郡
しきさいぐん

播磨国中央部に位置する。古代の飾磨しかま郡が東西に分離して成立(→飾磨郡。餝西郡とも記し、明治一七年(一八八四)の「地名索引(内務省地理局編)によると読みは「シキサイ」。東から北は神西じんさい郡、北から西は宍粟郡、西から南は揖東いつとう郡、南東は飾東しきとう郡、南は播磨灘に面する。夢前ゆめさき川流域の現夢前町と現姫路市の西部を占める。

〔中世〕

天暦四年(九五〇)一一月二〇日の東大寺封戸庄園并寺用雑物目録(東南院文書)に「餝磨西郡」とみえ、これ以前に成立していた。室町初期に成立した「峯相記」によると、飾磨郡が東西に分れ、さらに近年両郡の間に中条郡が成立したという。郡域には国衙別納で伏見宮家領の伊和西いわにしのほか英賀あが(摂関家領)、飾磨庄(奈良薬師寺領)土山つちやま(奈良薬師寺領、広峯社領。以上現姫路市)置塩おしお(京都相国寺慶雲院、京都建仁寺塔頭龍徳寺領)菅生すごう(京都長講堂領)巨智こち(皇室領)賀屋かや(京都新熊野社領。以上現夢前町)などが成立。国衙領であった安室やすむろ郷・余部あまりべ(現姫路市)書写山円教えんぎよう(現同上)に寄進されていた。弘安二年(一二七九)円教寺如意堂造替の用材は賀屋庄奥の杣山から夢前川を使って運んでおり(「性空上人伝記遺続集」円教寺蔵)、花山法皇が同寺に参詣した際には同川河口の英賀・飾万の津を利用するなど、円教寺経営は同川に深くかかわっていた。英賀・飾万両津と今在家いまざいけ(現姫路市)は瀬戸内海交通の要津で、人々が集住した飾万津では一遍が別時念仏を行ったという。英賀・飾万津は市も著名で富貴の長者も居住した。文永(一二六四―七五)頃飾万津の雲太夫入道が光明こうみよう(現同上)を建てたという(峯相記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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