改訂新版 世界大百科事典 「養鸕徹定」の意味・わかりやすい解説
養鸕徹定 (うがいてつじょう)
生没年:1814-91(文化11-明治24)
浄土宗の僧。有馬藩士鵜飼万五郎政善の次男,6歳で久留米西岸寺禅竜について出家。江戸増上寺で修学ののち,京都,奈良で古経の校合,古画聖教類の収集につとめ,1861年(文久1)武蔵岩槻の浄国寺に住した。明治維新後,廃仏毀釈から仏教を防護することに意を注ぎ,またキリスト教の排斥を積極的に行った。72年(明治5),浅草誓願寺ついで小石川伝通院に転じ,初代の浄土宗管長となった。74年知恩院75代住職となり,同院の権威向上と復興に挺身した。87年に引退。生涯をかけた収集品は知恩院に寄付されたが,《上宮聖徳法王帝説》《菩薩処胎経》など国宝級の逸品が多い。著書に《縁山詩叢》《釈教正謬初破幷再破》《古経捜索録》《古経題跋》などがある。なお復姓にあたって鵜飼を養鸕とした。
執筆者:伊藤 唯真
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報