日本歴史地名大系 「馬留王子跡」の解説 馬留王子跡うまどめおうじあと 和歌山県:日高郡日高町原谷村馬留王子跡[現在地名]日高町原谷 下岡光明(こうみよう)寺(西山浄土宗)の下方の県道沿いに「馬留王子跡」と書いた石碑が建つ。熊野九十九王子の一。実際の王子跡はこの石碑の所より上の蜜柑畑である。「中右記」天仁二年(一一〇九)一〇月一八日条に、鹿瀬(ししがせ)山を越えて「漸下坂之間日已暮、凡七町許云々、下人取続松来迎、其後二三町許下従坂、於馬留下占宿」と「馬留」の名がみえるが、王子社には触れられていない。 馬留王子跡うまどめおうじあと 和歌山県:有田郡広川町河瀬村馬留王子跡[現在地名]広川町河瀬 鹿瀬熊野街道を川瀬(ごのせ)王子よりさらに南進した鹿瀬(ししがせ)山麓に跡地がある。熊野九十九王子の一。「続風土記」は馬留王子社の項を立て、「此辺より坂道嶮岨にして馬上にては行難し、御幸の時此処にて馬を留られしといふ、故に馬留の名あり」と記すが、「中右記」「後鳥羽院熊野御幸記」、下って応永三四年(一四二七)住心院僧正実意の著した「熊野詣日記」にもみえず、それ以降の創祀か。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報