馬見岡綿向神社(読み)まみおかわたむきじんじや

日本歴史地名大系 「馬見岡綿向神社」の解説

馬見岡綿向神社
まみおかわたむきじんじや

[現在地名]日野町村井

近世日野村井ひのむらい町の北東部に位置する。日野三町のうちでも最北東端にあたり、西方日野三町の西端に接する上野田こうずけだ村地内の雲雀野ひばりの(西ノ野ともいう)御旅所がある。旧県社。祭神天穂日あまのほひ命・武三熊大人たけみくまのうし命・天夷鳥あめのひなとり命の三神。東方綿向山が神体山であり、山頂大嶽おおだけ社の里宮にあたる。社伝では欽明天皇六年に蒲生稲置三麿と山部連羽咋が託宣により創祠したと伝える。かつては綿向大明神社(至徳三年一〇月日「勧進募縁疏」当社蔵、以下断りのないものはすべて社蔵文書)、綿向之御宮(康正三年三月日蒲生貞秀書下)、綿向山大神(天文一八年棟札)などともよばれ、また大宮大明神(慶長九年二月二二日岡重政等連署書状案)、日野大宮(慶長一三年二月一三日岡重政等連署判物案)ともいわれたが、江戸時代には多く綿向大明神の呼称が用いられ、現在も単に綿向神社とよばれることが多い。

〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔出雲系の神〕

「延喜式」神名帳の蒲生がもう郡「馬見岡ムマミヲカノ神社二座」に比定する説がある。同社は現滋賀県近江八幡市馬淵まぶちの同名社とする説もあるが、当地に牧があったことは明らかで、「馬見岡」との関係が気になる。当社が祀る三神はいずれも出雲系の神々で、「新撰姓氏録」は出雲宿禰を天穂日命の子天夷鳥命の後裔とするが、当社宮司も南北朝期頃までは出雲宿禰を称していたと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「馬見岡綿向神社」の解説

馬見岡綿向神社

滋賀県蒲生郡日野町にある神社。6世紀中頃に綿向山山頂に創建、延暦年間に里宮として現在地に遷座されたものと伝わる。祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)、天夷鳥命(あめのひなとりのみこと)、武三熊大人命(たけみくまおうしのみこと)。

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