駒崎村(読み)こまざきむら

日本歴史地名大系 「駒崎村」の解説

駒崎村
こまざきむら

[現在地名]日南町上石見かみいわみ

大倉おおくら(一一一二メートル)の南麓、弧を描くように西流する石見川沿いに位置し、西は下道場しもどうじよう村・月瀬つきぜ村。村内を玉島たましま街道が通り、南は谷田たんだ峠を越えて備中国哲多てつたかま(現岡山県神郷町)に至る。享保元年(一七一六)郷村高辻帳は「コマサキ」と訓じ、駒ヶ崎とも記す(同一九年鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」)。村名は当地に城を構えたとされる尼子氏の家臣谷田五左衛門尉の馬場跡であったことに由来する(伯耆志)正保国絵図には、月瀬村とともに「月ケ瀬駒崎村」と記される。元禄一四年(一七〇一)月瀬村を合併(藩史)。拝領高は一七三石余、本免は五ツ七分。幕末の六郡郷村生高竈付では生高一二四石余、竈数一一。


駒崎村
こまさきむら

[現在地名]蓮田市駒崎

綾瀬川の左岸井沼いぬま村・上平野かみひらの村の南に位置する。正和四年(一三一五)四月一三日、伊賀光貞は父頼泰から武蔵国「駒前」等を譲られ、嘉暦二年(一三二七)八月二四日幕府より外題安堵を受けた(正和四年四月一三日「伊賀頼泰譲状写」楓軒文書纂)検地は寛永七年(一六三〇)岩槻藩阿部氏が行っている(風土記稿)。田園簿では同藩領で、田高一六三石余・畑高一二四石余。


駒崎村
こまざきむら

[現在地名]緑区椎名崎町しいなざきちよう大膳野町だいぜんのちよう

谷津やつ村の南西にあり、椎名下しいなしも郷に属した。椎名氏の居城があったとされる。寛永四年(一六二七)から生実藩領で、同五年の小弓領郷帳に村名がみえ、田一〇六石余・畑四七石余。幕末まで同藩領。明暦二年(一六五六)とされる検地帳(刈田子町有文書)では田八町余・畑屋敷五町三反余。享保八年(一七二三)名寄帳では百姓六〇のうち他村百姓四九であった。文政三年(一八二〇)年貢皆済目録では一三〇俵余を納めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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