高原諏訪城(読み)たかはらすわじょう

日本の城がわかる事典 「高原諏訪城」の解説

たかはらすわじょう【高原諏訪城】

岐阜県飛騨市(旧吉城郡神岡町)にあった山城(やまじろ)。江馬下館・土城・寺林城・政元城・洞城・石神城(いずれも飛騨市)とともに「江馬氏城館跡」として国指定史跡になっている。室町時代から戦国時代にかけての江馬氏の標高60mの山上に築かれた居城で、江馬氏が平時の居館としていた江馬下館の詰の城にあたる。江馬氏は飛騨国吉城郡高原郷の領主として北飛騨で勢力を伸ばし、戦国時代には姉小路氏・三木氏らと並ぶ飛騨の戦国大名となった。この城は江馬時盛、時経らによる室町時代の築城とされている。1559年(永禄2)、甲斐の武田信玄軍勢が飛騨に侵攻した際、城主の江馬時盛は、尾崎城(高山市・旧丹生川村)の塩屋筑前守と連合してこれを撃退している。その後、時盛は武田信玄と結んで上杉謙信と同盟する南飛騨の三木氏に対抗した。信玄の死後、時盛の嫡子輝盛は父を暗殺、江馬氏の家督を継承し、上杉氏に臣従、織田信長に誼を通じた三木氏(三木自綱(これつな))と敵対した。織田信長が明智光秀謀叛により本能寺で横死すると、輝盛はこれを好機として、1582年(天正10)に三木自綱との決戦を企図した。しかし、この合戦(八日町の戦い)で輝盛は戦死して、江馬勢は総崩れとなった。その直後、高原諏訪城は小島(おじま)城(揖斐郡揖斐川町)の小島時光の攻撃を受けた。大雪で防御柵なども破損していたこともあり、城は小島氏の攻勢に耐えられず落城した。こうして江馬氏は滅亡し、高原諏訪城は廃城となった。現在、城跡には大規模な堀切のほか、土塁や郭の遺構が現存している。神岡鉄道飛弾神岡駅からタクシー。◇旭山城、江馬城ともよばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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