デジタル大辞泉 「高嵩谷」の意味・読み・例文・類語 こう‐すうこく〔カウ‐〕【高嵩谷】 [1730~1804]江戸後期の町絵師。江戸の人。名は一雄。別号、屠竜翁とりゅうおうなど。英一蝶はなぶさいっちょう門下の佐脇嵩之さわきすうしに学び、武者絵に新境地を開いた。浅草寺の「源三位頼政鵺ぬえ退治図」扁額などの作品がある。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「高嵩谷」の意味・読み・例文・類語 こう‐すうこくカウ‥【高嵩谷】 江戸中期の画家。名は一雄。字(あざな)は子盈。別号屠龍翁・曲江。江戸の人。英(はなぶさ)一蝶の門人佐脇嵩之に師事し、土佐派、狩野派も学ぶ。のち法橋に叙せられた。代表作は浅草観音堂の「源三位頼政鵺(ぬえ)退治図」。享保一五~文化元年(一七三〇‐一八〇四) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「高嵩谷」の解説 高嵩谷 没年:文化1.8.23(1804.9.26) 生年:享保15(1730) 江戸中期の画家。江戸の人。本姓は高久,名は一雄,字は子盈,嵩谷はその号。別号に屠竜翁,楽只斎,翠雲堂,湖蓮舎。 英 一蝶の門人佐脇嵩之について画を学んだ。英派の画家として一蝶風の風俗画を得意としたが,中年以後武者絵に新境地を開いた。天明7(1787)年浅草寺に「源三位頼政鵺退治図額」を掲げて,人気を博したと伝えられる。他に「浅草観音仁王門図」(東京国立博物館蔵)などがある。75歳で没し,浅草西福寺智光院に葬られた。<参考文献>藤懸静也「高嵩谷筆源三位頼政鵺退治図額」(『国華』523号) (河野元昭) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高嵩谷」の解説 高嵩谷 こう-すうこく 1730-1804 江戸時代中期-後期の画家。享保(きょうほう)15年生まれ。英一蝶(はなぶさ-いっちょう)の門人佐脇嵩之(すうし)にまなぶ。風俗画にすぐれ,中年以後は武者絵をえがいた。江戸浅草(せんそう)寺の「源三位頼政鵺(ぬえ)退治図」の額で有名になったという。文化元年8月23日死去。75歳。江戸出身。姓は高久。名は一雄。字(あざな)は子盈(しえい)。別号に屠竜翁,楽只斎(らくしさい)など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例