コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

浅草寺 せんそうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

浅草寺
せんそうじ

東京都台東区浅草にある聖観音宗の本で,山号金竜山天台宗から第2次世界大戦後独立。推古 36 (628) 年に隅田川で発見されたといわれる観音像を河畔に祀って建立された寺院。海勝上人を開山とし,のちに慈覚大師が寺塔を増築し,源頼朝徳川氏が保護した。たびたび炎上しているが,そのたびに再建されている。徳川家光家綱寄進による本堂も戦災で焼失したが,1958年復興した。浅草観音として親しまれている。国宝指定の『法華経』 (10巻) を伝える。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

浅草寺

628年創建。江戸時代徳川家康幕府祈願所に定めると参拝者が増え、周辺に盛り場ができた。今も東京の観光名所の一つで、国内外から年間約3千万人が訪れる。7月にほおずき市、12月には羽子板市が開かれる。

(2017-11-04 朝日新聞 夕刊 1社会)

出典 朝日新聞掲載「キーワード」朝日新聞掲載「キーワード」について 情報

デジタル大辞泉の解説

あさくさ‐でら【浅草寺】

せんそうじ(浅草寺)

せんそう‐じ〔センサウ‐〕【浅草寺】

東京都台東区にある聖観音(しょうかんのん)宗の総本山。もと天台宗。山号は金竜山。推古天皇のころ宮戸川(今の隅田川)から引き上げた観音像を土師真中知(はじのあたいなかとも)がまつったのが始まりと伝え、大化元年(645)勝海が堂宇を建立して開山となった。中興開山は円仁。江戸時代は幕府の祈願所。坂東三十三所第13番札所。浅草(あさくさ)観音。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

浅草寺【せんそうじ】

通称は浅草(あさくさ)観音。東京都台東区浅草にある聖観音宗の本山。山号は金竜山。伝法院と号す。本尊は1寸8分の観音菩薩で,推古天皇の時檜熊(ひのくま)浜成・同武成(檜熊・浜成・武成の3人とも)が宮戸川(隅田川)で網を引いて得たものという。
→関連項目開帳雷門新門辰五郎風流志道軒伝ほおずき(酸漿)市

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

デジタル大辞泉プラスの解説

浅草(せんそう)寺

東京都台東区にある寺院。628年創建。聖観音宗。本尊は聖観世音菩薩。聖観音宗総本山。山門の風神雷神門は雷門と呼ばれ、浅草のシンボルとなっている。別名浅草(あさくさ)観音。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

せんそうじ【浅草寺】

東京都台東区浅草2丁目にある寺で,俗に浅草(あさくさ)観音と称される。山号金竜山。天台宗に属していたが,1950年聖観音宗を立て支院25ヵ寺,末社18舎をひきいる総本山となった。縁起によれば628年(推古36)宮戸川(隅田川)で漁をしていた檜前(ひのくま)浜成・竹成兄弟の網に観音像がかかり,郷司土師(はじ)中知と3人でこれをまつったのが最初という。これが1寸8分(約5.45cm)で金無垢と伝える本尊であるが,645年(大化1)勝海上人が東国に巡歴して本堂を開山し,観音像を夢告により秘仏とした。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

あさくさでら【浅草寺】

せんそうじ【浅草寺】

東京都台東区浅草あさくさにある聖観音宗の寺。山号、金竜山。別称、浅草あさくさ観音。本坊は伝法院。本尊は聖観世音菩薩。縁起によれば、推古天皇の時代に興り、円仁が再興。徳川家康は寺領五〇〇石を与え、江戸庶民の信仰を集めた。戦後天台宗から独立。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

浅草寺
せんそうじ

東京都台東(たいとう)区浅草(あさくさ)にある聖観音宗(しょうかんのんしゅう)の総本山。金龍山(きんりゅうざん)伝法院と号する。本尊は聖観音菩薩(ぼさつ)で、浅草観音(あさくさかんのん)の名で有名。坂東三十三所(ばんどうさんじゅうさんしょ)の第13番札所。1950年(昭和25)に独立するまでは天台宗に属した。縁起によると、628年(推古天皇36)檜前浜成(ひのくまはまなり)・竹成(たけなり)兄弟が、宮戸川(隅田川)で漁をしていると1寸8分(約5.5センチメートル)の黄金の聖観音像がかかり、その観音に祈ると多くの魚がかかった。土師直中知(はじのあたいなかとも)が自宅を寺として安置したのが本寺の始まりという。645年(大化1)諸国巡遊の勝海が堂宇を建立し、開山となった。夢告により本尊は秘仏とされ、以後、開帳は厳禁されている。天台宗の円仁は、857年(天安1)本尊にかわる御前立(おまえだち)本尊(開帳本尊)と板木の観音像を刻したので、中興開山といわれる。平将門(たいらのまさかど)の乱で堂宇を焼失したが、安房守(あわのかみ)平公雅(たいらのきみまさ)が祈願成就して武蔵(むさし)国守になったことにより、諸堂宇を建て寺領数百町を寄せたという。のち、たびたび火災を受けたが、源義朝(みなもとのよしとも)・頼朝(よりとも)、足利尊氏(あしかがたかうじ)、北条氏康(ほうじょううじやす)らの尊崇を受け再建された。江戸に徳川幕府が開かれると、幕府の祈願所となり、寺領500石を受け、江戸有数の大寺となった。また庶民の信仰を集め、行楽の地となり、明治期には境内の大部分は浅草公園となった。1945年(昭和20)戦災により二天門(1618建立、国重要文化財)と伝法院以外を焼失したが、戦後復興に努力し、1958年に再建、続いて1960年に雷門(かみなりもん)、1964年に宝蔵門、1973年に五重塔も再建された。五重塔にはスリランカより将来された仏舎利(ぶっしゃり)を納めている。宝物は多く、平安時代に書写された伝小野道風(おののとうふう)筆『法華経(ほけきょう)』10巻(開結とも)は国宝、もと鎌倉・鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)所蔵の元版一切経(いっさいきょう)は国の重要文化財に指定されている。伝法院は浅草寺の本坊で、1777年(安永6)に建立、伝小堀遠州作の池泉回遊式庭園がある。雷門から宝蔵門に至る間は仲見世(なかみせ)で、86軒の店が並び、新仲見世とともに門前町をなしている。7月9、10日に参詣(さんけい)すると四万六千日(しまんろくせんにち)参詣の功徳があると信ぜられ、当日はほおずき市(いち)が立ち、にぎわう。2月8日の針供養会、3月18日の本尊示現会、12月31日~1月6日の修正会(しゅしょうえ)など多くの行事がある。創建にかかわる中知・浜成・竹成の3人を祀(まつ)る浅草神社(あさくさじんじゃ)は三社権現(さんじゃごんげん)といわれ、5月の第3日曜までの3日間に行われる三社祭は江戸三大祭の一つで名高い。[田村晃祐]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の浅草寺の言及

【浅草】より

…東京都台東区東部,隅田川西岸にある地名。江戸時代より浅草(せんそう)寺の門前町として栄え,明治以降も繁華街として発展した。1878年東京市15区制によって寺を中心とする南北に長い地区が浅草区となり,1947年に下谷区と合併して台東区の一部となった。…

【縁日】より

…むしろ縁日に立つ市は,香具師仲間によって運営される習慣が江戸時代末期には一般化しており,近代以降になお引き継がれた。さまざまの縁日の中で江戸(東京)の浅草寺の縁日は,なんといってもその代表的事例である。7月の四万六千日の縁日に,明治中期以後縁起物として売られるようになったホオズキがそのままホオズキ市の名称となっているが,そうした厄除けの縁起物は,江戸時代以来,赤玉蜀黍(とうもろこし),茶筌(ちやせん)と変化してきており,それぞれの時代の流行物となっている。…

【四万六千日】より

…この4万6000日という数字の由来は不明である。東京浅草(せんそう)寺の7月10日(現在は8,9日)の縁日がとくに著名。この称は江戸時代になって浅草寺で用いられたもので,享保20年(1735)版の《続江戸砂子》に見えている。…

※「浅草寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

浅草寺の関連キーワードほおずき(酸漿)市三社祭(祭礼)鬼灯市・鬼燈市東京都台東区清水谷 恭順仲見世・仲店堺屋おそで風神・雷神四万六千日深井志道軒浅草寺栄海檜前浜成千日参り鳩ぽっぽ土師中知塩入亮忠言問通り菊供養田原町千歳飴

今日のキーワード

いい夫婦の日

11月22日。通商産業省(現経済産業省)が制定。パートナーへの感謝の意を示し、絆を深める。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

浅草寺の関連情報