高木壬太郎(読み)タカギ ミズタロウ

20世紀日本人名事典 「高木壬太郎」の解説

高木 壬太郎
タカギ ミズタロウ

明治・大正期の神学者,牧師,教育者 青山学院神学教授院長



生年
元治1年5月20日(1864年)

没年
大正10(1921)年1月27日

出生地
遠江国榛原(静岡県榛原郡長尾)

学歴〔年〕
静岡県師範学校〔明治14年〕卒,東洋英和学校神学部〔明治26年〕

経歴
師範卒業後、高等小学校校長などを歴任。明治19年静岡メソジスト教会で洗礼を受ける。28年カナダ・トロント市のビクトリア大学で神学を学び、帰国後、築地麻布駒込本郷の各教会の牧師となり、34年メソジスト派機関誌「護教」主筆として同誌を主宰。37年青山学院神学部教授に就任、大正2年青山学院院長となる。5年がかりで完成した「基督教大辞典」(明治44年)は明治キリスト教界における最大の遺産の一つといわれる。他の著書に「ウェスレー伝」「基督教安心論」「生活と宗教」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「高木壬太郎」の解説

高木壬太郎

没年:大正10.1.27(1921)
生年:元治1.5.20(1864.6.23)
明治時代のキリスト教牧師,教育者。静岡県生まれ。静岡師範学校に学び,小学校教育に尽力。明治18(1885)年キリスト教宣教師F.A.カシディの説教を聞き,求道の志をたて,翌年平岩愃保から山路愛山と共に静岡メソジスト教会で洗礼を受ける。東洋英和学校とカナダのヴィクトリア大学の神学部で学び,帰国後は牧師,青山学院教授・院長として活躍。青山学院神学部教授のとき,5年の歳月を費やし,独力で編集し執筆した『基督教大辞典』(1911)は,キリスト教の知識を広めることに多大の貢献をした。<参考文献>警醒社編『信仰三十年基督者列伝』,「故高木壬太郎氏略歴」(『青山学報』18号),高木二郎『わが父高木壬太郎を語る』

(原島正)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高木壬太郎」の解説

高木壬太郎 たかぎ-みずたろう

1864-1921 明治-大正時代の神学者,教育家。
元治(げんじ)元年5月20日生まれ。平岩愃保(よしやす)から受洗。カナダのビクトリア大に留学。帰国後メソジスト教会の牧師となり,同時に青山学院の教授をつとめ,大正2年院長。明治44年「基督(キリスト)教大辞典」を出版。大正10年1月27日死去。58歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身。東洋英和学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高木壬太郎」の意味・わかりやすい解説

高木壬太郎
たかぎみずたろう

[生]元治1(1864).5.20. 遠江
[没]1921.1.27. 東京
メソジスト派牧師,神学者,教育家。 1886年静岡教会で受洗。 93年東洋英和学校神学部卒業。 1904年青山学院専門学校新約聖書学教授,一時,その神学が自由主義であるとして不遇であったが,のち同学院第4代院長。メソジスト3派の雑誌『護教』主筆。主著『キリスト教大辞典』 (1911) 。

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367日誕生日大事典 「高木壬太郎」の解説

高木 壬太郎 (たかぎ みずたろう)

生年月日:1864年5月20日
明治時代;大正時代の神学者;牧師。青山学院院長
1921年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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