日本歴史地名大系 「高杉神社」の解説 高杉神社たかすぎじんじや 鳥取県:西伯郡大山町宮内村高杉神社[現在地名]大山町宮内孝霊(こうれい)山北東麓、字早稲の上(わさのうえ)にある。旧村社。祭神は大足彦忍代別命・大日本根子彦太瓊命・細媛之命・松媛之命・千代媛之命など一二柱。創建の時期は不明。社伝によると孝霊山は景行天皇(大足彦忍代別命)により開かれてその皇子忍之別命の子孫別稲置の首の本居地となり、当社はその代々の宗廟であったという。また孝霊天皇御幸伝説も関係する。戦国期兵火にかかって社宝・古記録類一切を失ったとされ、慶安二年(一六四九)現在地に社殿を再建したという(社蔵棟札)。近世には汗入(あせり)郡大社、高杉郷大社とよばれ、藩の祈願所として社殿造営・修理の費用は郡中の村々より高懸りで徴収された。社領は宮内(みやうち)村内に三石余を与えられていた(天保五年「寺社領帳」藩史)。初め高杉郷八ヵ村の産土神であったが、元禄二年(一六八九)の坊領(ぼうりよう)村と宮内村の孝霊山草山争論のため、大山領の坊領・佐摩(さま)・今在家(いまざいけ)の三ヵ村と鳥取藩領の中高(なかだか)・神原(かんばら)・長田(ながた)の三ヵ村が氏子から離れ、宮内と平(ひら)の二ヵ村のみの産土神となった(大山村誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by