宗廟(読み)ソウビョウ(英語表記)zōng miào

デジタル大辞泉 「宗廟」の意味・読み・例文・類語

そう‐びょう〔‐ベウ〕【宗×廟】

祖先のみたまや。祖先の位牌を置く所。
皇室の祖先を祭るみたまや。伊勢神宮などをいう。
[類語]霊廟霊屋廟堂聖廟

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精選版 日本国語大辞典 「宗廟」の意味・読み・例文・類語

そう‐びょう‥ベウ【宗廟】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 祖先の霊をまつった宮殿。祖先のみたまや。宗祧
    1. [初出の実例]「夫以八幡大菩薩者、聖代前烈之宗廟(そうベウ)、源家中興之霊神也」(出典太平記(14C後)九)
    2. [その他の文献]〔礼記‐曲礼〕
  3. 皇室の祖先をまつるみたまや。すなわち、伊勢神宮を敬っていう語。また、石清水八幡宮もこれに擬して第二宗廟とよび、あわせて「二所宗廟」ともいう。
    1. [初出の実例]「朕頼神祇之祐。蒙宗廟之霊。久有神器。新誕皇子」(出典:続日本紀‐神亀四年(727)一一月己亥)
    2. 「まことに宗廟・八幡・賀茂などをさしおいて、はるばると安芸国までの御幸をば、神明もなどか御納受なかるべき」(出典:平家物語(13C前)四)
  4. ( 転じて ) によって守護され、皇室によって統治される日本の国家。
    1. [初出の実例]「始祖内大臣、扶持宗廟、保安社稷」(出典:本朝文粋(1060頃)一三・為左大臣供養浄妙寺願文〈大江匡衡〉)

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改訂新版 世界大百科事典 「宗廟」の意味・わかりやすい解説

宗廟 (そうびょう)
zōng miào

中国において,祖先の位牌をまつる建物。天子については宗廟(または太廟)といい,それ以下の階級については家廟(または祠堂)という。その営建は殷代にまでさかのぼる。都城を営むとき,まず宗廟を造り次に厩舎(きゆうしや)(馬小屋)と武器庫を造り,最後に居室を造ると言われるごとく(《礼記》曲礼篇),宮城のなかで最も重要な建築。宗廟の崩壊は国家の滅亡にほかならず,〈宗廟社稷(しやしよく)〉(社稷は土地と穀物の神)は国家の代名詞にも使われた。宗廟が〈廟〉と〈寝〉から成るのは,前に〈朝(政務をとる所)〉があり,後に〈寝(居室)〉がある人君の住居にかたどるといわれる(蔡邕(さいよう)《独断》)。廟には位牌を安置し,寝には衣冠をはじめとする生前の調度品を収める。まつられる対象により,宗廟は太祖廟・昭廟・穆(ぼく)廟の3種に分けられる。太祖廟(太廟)は王室の始祖,昭・穆廟はその子孫たちの廟である。昭・穆とは太祖の後継者たちを2組に分類するための呼称であり,太祖の次を昭,その次を穆として以下順々に組み分けてゆく。配置は,太祖廟を北に建て,東の昭廟と西の穆廟が2列になって南下する。廟の数は階級によって決められており,天子は7廟(太廟1,昭廟3,穆廟3),諸侯は5廟(太廟1,昭廟2,穆廟2),大夫は3廟(太廟1,昭廟1,穆廟1),士は1廟,庶人には廟がなく寝(座敷)でまつる(《礼記》王制篇)。このように廟数には制限があるから,王朝が長く続いた場合,7廟では足らなくなってくる。そのときには世代の遠いものから順に太廟内にある東西の夾(きよう)室にその位牌を移すのである。これを〈祧(ちよう)〉と呼ぶ。この移し方にも昭・穆の原則が貫徹され,昭廟から祧(うつ)った位牌は東の夾室に,穆廟から祧った位牌は西の夾室にそれぞれ収められる。

 上述したのは,経書にみえる廟制のあるべき理念であって,このシステムどおりに現実が動いていったわけではない。たとえば漢代では,皇帝が崩御するたびに互いにかけ離れた場所に廟を営建したし,後漢になると〈同堂異室制〉が採用された。つまり1世代1廟の原則を廃棄し,太廟を幾室にも仕切って,中央の太祖の室の左右に先祖の位牌を昭・穆の順に配置していったのである。これが宋代になると,西を尊位として西から東へ横1列に室を並べてゆく制度に変わったのみならず,祧廟(祧された祖先のための独立の廟)が宗廟の西に建てられている。

 ところで,廟と墓とは本来別のものである。前者死者霊魂を迎える場所であり,後者は死者を送る場所であって,礼制の上でも宗廟の祭祀は〈吉礼〉に,葬送儀礼は〈凶礼〉に判然と分類されている。ところが,実際には陵墓の近くにもうひとつの廟を建て,陵墓の頂上やそばに寝(殿)を移し,宗廟の主要な儀礼をこの寝殿で行うことが歴代の通例であった。これを〈陵寝制度〉と呼んでいる。死者の肉体がそこにある陵墓の具体性は礼の理念的な要請よりはるかに人情に近かったのである。なお,宗廟の遺構は,明・清時代のものが北京紫禁城(故宮博物院)内に残るほか,宋代の廟制に範をとった朝鮮王朝時代の宗廟が,祧廟である永寧殿ともどもソウル偉容をとどめており,今なお5月の第1日曜日に祭祀がとり行われている。日本では,和漢折衷様式の米沢藩上杉家の〈御廟(ごびよう)〉が著名。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宗廟」の意味・わかりやすい解説

宗廟[ソウル]
そうびょう[ソウル]
Chongmyo

朝鮮王朝の歴代王と王妃のための祭祀を行なう場所。王朝時代に,精神世界の秩序を支配した礼制の頂点に立つ場所である。大韓民国 (韓国) ,ソウルの昌慶宮の南側に接し,敷地面積は約 22万m2 (6万 6191坪) に及ぶ。斉宮領域,正殿領域,永寧殿領域が順に配置されている。太祖3 (1395) 年に完成した宗廟は,およそ 200年後の宣祖 25 (1592) 年に豊臣秀吉軍による兵火で焼失し,のちに再建。正殿は 101m× 12mの規模で,切妻造の屋根をもつ。単純,素朴な空間構成であるが,エンタシス式の列柱が並んだ長大かつ厳粛な建築である。かつては正殿前の廟庭で年4回の祭礼を行なっていたが,1971年から毎年5月第1日曜日に宗廟祭礼を催すようになった。 1995年世界遺産の文化遺産に登録。

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世界遺産詳解 「宗廟」の解説

そうびょう【宗廟】

1995年に登録された韓国の世界遺産(文化遺産)で、首都ソウルにある李氏朝鮮の祖先(歴代の王)の霊廟。朝鮮王朝の建国者であるイ・ソンゲ(李成桂、太祖)が当時の漢陽(現在のソウル)に遷都した1394年の12月に建設を開始し、翌年9月に完成したといわれている。1592年の文禄の役(壬辰倭乱、豊臣秀吉の第一次朝鮮出兵)で秀吉の軍勢に漢陽が占領された際に焼失したが、1608年に再建された。宗廟には、歴代の王を祀る正殿、神位が増えたために別廟として建設した永寧殿、83人の功臣を祀る功臣堂のほか、斉室、典祀庁、楽工庁があり、現在も、毎年5月に王族の李氏の子孫である全州李氏一族によって祭祀が営まれている。宗廟は韓国の史跡125号にも指定され、宗廟祭礼と宗廟祭礼楽は2001年に、ユネスコの無形遺産に選定されている。◇英名はJongmyo Shrine。宗廟は韓国語でチョンミョと発音する。

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百科事典マイペディア 「宗廟」の意味・わかりやすい解説

宗廟【そうびょう】

大韓民国の首都ソウル中心部にある霊廟。歴代朝鮮王朝の王と王妃などの位牌を祀った霊廟(れいびょう)で,初代太祖に始まり,国家の基礎を固めた第3代太宗,ハングル文字を制定した第4代世宗などが祀られている。宗廟は1395年に完成したが,1592年文禄の役(文禄・慶長の役)で焼失。その後,1608年に再建された。朝鮮王朝の王族の末裔李氏の子孫が集まり,歴代国王の功績をたたえ,子孫の繁栄を祈願する宗廟大祭が毎年5月に催される。1995年世界文化遺産に登録。

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世界遺産情報 「宗廟」の解説

宗廟

宗廟は、韓国ソウル特別市に所在する朝鮮王朝の祖先祭祀場。朝鮮王朝が歴代国王と王妃、そして追尊された王と王妃の位牌を祈り、祭祀を執り行った場所です。1995年ユネスコの世界文化遺産に登録されました。李成桂の漢陽(ソウル)遷都の年である1394年12月に着工し、翌1395年9月に完成。しかし、1592年日本軍のソウル占領によって破壊され、1608年に再建されました。現在、毎年5月に全州李氏一族があつまる宗廟祭礼祭が行われています。この儀式は、世界無形文化遺産にも登録されています。

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世界の観光地名がわかる事典 「宗廟」の解説

そうびょう【宗廟】

韓国の首都ソウルにある、李氏朝鮮王朝の歴代の王と王妃と功臣の位牌が祀られ、祭祀が行われている廟堂。1395年に、朝鮮王朝の始祖である太祖李成桂により建てられた。正殿には太祖をはじめ歴代の19人の王と王妃が、永寧殿には16人の王・王子と王妃が、功臣堂には83人の功臣が祀られている。現在も、毎年5月に全州李氏宗家によって祭祀が行われている。◇「チョンミョ」とも読む。宗廟正殿は国宝第227号、永寧殿は宝物第821号に指定されているほか、世界遺産(文化遺産)に登録されている。

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世界大百科事典(旧版)内の宗廟の言及

【后土祠】より

…后土は皇天に対する語で,地祇(ちぎ),皇地祇ともいう。天と地のまつり(郊祀(こうし))と祖先のまつり(宗廟(そうびよう))とは旧体制の中国において最重要の国家祭祀であった。后土のまつりも古代から行われたが,長らく欠けたままになっていたので,漢の武帝は山西省の汾陰(ふんいん)に后土祠を建てて復活させた。…

※「宗廟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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