高橋 圭三
タカハシ ケイゾウ
昭和期の司会者,アナウンサー 圭三プロダクション社長;元・参院議員。
- 生年
- 大正7(1918)年9月9日
- 没年
- 平成14(2002)年4月11日
- 出生地
- 岩手県花巻市
- 学歴〔年〕
- 高千穂高商〔昭和16年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 勲三等旭日中綬章〔昭和63年〕,日本レコード大賞(特別功労賞 第44回)〔平成14年〕
- 経歴
- 昭和17年NHKのアナウンサーとなり、ラジオ「話の泉」、テレビ「私の秘密」「のど自慢」などを担当。28年からテレビ中継が始まった「紅白歌合戦」では9年連続白組の司会者を務めた。軽妙な語り口と“圭三スマイル”で、ニュースやスポーツ中継が中心だったNHKアナウンサーのイメージを変え、テレビ草創期のスター的存在に。37年フリーとなり高橋圭三プロダクションを興し、社長となる。「輝く日本レコード大賞」(TBS系)、「新春スターかくし芸大会」(フジテレビ系)など民放の大型番組の司会で活躍、テレビ局から独立してフリーで活躍するアナウンサーの先駆となった。一方、圭三塾を設立し、アナウンサーの人材育成にも尽力。59年芸能人のボランティア活動の集まり・虹の会理事長に就任。この間、52年参院議員を1期務めた。著書に「私の放送史」がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
高橋 圭三
タカハシ ケイゾウ
- 肩書
- 元・参院議員,圭三プロダクション社長
- 生年月日
- 大正7年9月9日
- 出生地
- 岩手県花巻市
- 学歴
- 高千穂高商〔昭和16年〕卒
- 経歴
- 昭和17年NHKのアナウンサーとなり、ラジオ「話の泉」、テレビ「私の秘密」「のど自慢」などを担当。28年からテレビ中継が始まった「紅白歌合戦」では9年連続白組の司会者を務めた。軽妙な語り口と“圭三スマイル”で、ニュースやスポーツ中継が中心だったNHKアナウンサーのイメージを変え、テレビ草創期のスター的存在に。37年フリーとなり高橋圭三プロダクションを興し、社長となる。「輝く日本レコード大賞」(TBS系)、「新春スターかくし芸大会」(フジテレビ系)など民放の大型番組の司会で活躍、テレビ局から独立してフリーで活躍するアナウンサーの先駆となった。一方、圭三塾を設立し、アナウンサーの人材育成にも尽力。59年芸能人のボランティア活動の集まり・虹の会理事長に就任。この間、52年参院議員を1期務めた。著書に「私の放送史」がある。
- 受賞
- 勲三等旭日中綬章〔昭和63年〕 日本レコード大賞(特別功労賞 第44回)〔平成14年〕
- 没年月日
- 平成14年4月11日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
高橋圭三【たかはしけいぞう】
アナウンサー。岩手県出身。高千穂高等商業学校(現,高千穂大学)卒業。1942年にNHK(日本放送協会)に入局し,テレビ番組の《私の秘密》や《紅白歌合戦》などで名司会者として人気を得た。1961年に退局し,民間放送移籍第1号として日本初のフリーアナウンサーとなった。〈どうも,どうも〉というセリフを多用したことでも知られる。1977年の参議院議員選挙全国区に無所属として出馬し初当選,当選後は自由民主党に所属して1983年まで1期を務めた。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
高橋圭三 たかはし-けいぞう
1918-2002 昭和時代のアナウンサー,司会者。
大正7年9月9日生まれ。昭和17年NHKに入局。戦後,ラジオの「話の泉」,テレビの「私の秘密」「紅白歌合戦」などの司会で人気アナとなる。37年圭三プロダクションを設立,「日本レコード大賞」「新春スターかくし芸大会」などの司会をつとめた。52年参議院議員(自民党)。平成14年4月11日死去。83歳。岩手県出身。高千穂高商卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
高橋 圭三 (たかはし けいぞう)
生年月日:1918年9月9日
昭和時代;平成時代の司会者;アナウンサー
2002年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報