日本大百科全書(ニッポニカ) 「高橋新五郎」の意味・わかりやすい解説
高橋新五郎
たかはししんごろう
(1791―1857)
幕末の機業家。塚越結城(つかごしゆうき)織の祖。武蔵(むさし)国足立(あだち)郡塚越村(埼玉県蕨(わらび)市)に生まれ、幼名国太郎、2代目新五郎を襲名する。創業の父初代新五郎の遺志を継ぎ、青梅(おうめ)、足利(あしかが)の機台をくふう、改良し、1825年(文政8)新高機(たかばた)を発明、精巧な青縞(あおじま)の製織に着手した。織法や染法に改良を加え、業務は盛んとなり商号を東屋(あずまや)と唱えた。37年(天保8)には高機102台、藍甕(あいがめ)130本の染め工場をもつほどになり、遠近から伝習を受ける者125名、各地に開業する弟子機屋(でしはたや)、孫機屋と称する者数十か村に及び、問屋制的機業を行った。没後は機祖(はたそ)神社に祀(まつ)られ、毎年開業を記念して8月7日には機祭りが行われる。1924年(大正13)に従(じゅ)五位を追贈。
なお3代目新五郎は東屋唐桟(とうざん)を、4代目は双子(ふたご)縞(塚越双子、埼玉双子、東京双子)を考案、代々発明家として知られた。
[大村 進]