高橋荒太郎(読み)タカハシ アラタロウ

20世紀日本人名事典 「高橋荒太郎」の解説

高橋 荒太郎
タカハシ アラタロウ

昭和期の実業家 元・松下電器産業会長。



生年
明治36(1903)年10月19日

没年
平成15(2003)年4月18日

出生地
香川県小豆島

学歴〔年〕
神戸商業補習学校専攻科〔大正9年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和38年〕,勲二等瑞宝章〔昭和48年〕,勲二等旭日重光章〔昭和58年〕,経済界大賞(寿賞 第12回)〔昭和61年〕

経歴
小学校を出てから神戸に移り商店づとめをしながら勉強。神戸商業補習学校卒業後、大正10年朝日乾電池に入社し24歳で常務となる。ニューヨーク株式市場の大暴落による世界恐慌の時には30%のコスト減で大改革をし工場再建へ一致協力、1年半で軌道に乗せた。のち松下電器産業と業務提携、昭和11年同社創業者である松下幸之助に見込まれて松下電器に入り、18年取締役、24年専務を経て、36年副社長。48年松下氏の後を継いで会長に就任。52年特別顧問に退くまで実務面で松下を支え、“松下の大番頭”と呼ばれた。九州松下電器などの新会社創設や不振事業の再建に手腕を発揮した。また同社の経理制度の憲法として長年に渡って使われてきた“経理規程”の作成者としても知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋荒太郎」の解説

高橋荒太郎 たかはし-あらたろう

1903-2003 昭和時代経営者
明治36年10月19日生まれ。小学校卒業後,商店づとめをしながら勉強。朝日乾電池にはいり,昭和4年常務。11年業務提携先の松下電器(現パナソニック)にうつり,専務,副社長をへて,48年会長。松下幸之助の片腕として,フィリップス社との提携,経営管理体制の整備につとめた。平成15年4月18日死去。99歳。香川県出身。神戸商業補習学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「高橋荒太郎」の解説

高橋 荒太郎 (たかはし あらたろう)

生年月日:1903年10月19日
昭和時代の実業家。松下電器産業会長

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android