高瀬荘太郎(読み)タカセ ソウタロウ

20世紀日本人名事典 「高瀬荘太郎」の解説

高瀬 荘太郎
タカセ ソウタロウ

大正・昭和期の会計学者,政治家 文相;通産相;郵政相;参院議員(緑風会);東京商大学長;成蹊学園総長。



生年
明治25(1892)年3月9日

没年
昭和41(1966)年9月4日

出生地
静岡県大宮町

学歴〔年〕
東京高商銀行科〔大正3年〕卒

学位〔年〕
商学博士〔昭和8年〕

経歴
昭和2年東京商大教授。会計学専攻、8年に「グッドウイルの研究」で商博。15〜21年同大学長。戦後の22年第1次吉田茂改造内閣の経済安定本部長官、24年第3次内閣の文相、25年通産相、27年第4次内閣の郵政相を歴任。その間、22年の参院選に緑風会から当選。当選3回。23年には緑風会政調会長。日本経済学会理事長、産業教育振興会中央会長を歴任。文相時代、ドッジラインで財政窮乏下の6・3制教育制度の実施、新制大学育成などに尽力著書に「会計学」「企業財政論」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「高瀬荘太郎」の解説

高瀬 荘太郎
タカセ ソウタロウ


肩書
文相,通産相,郵政相,参院議員(緑風会),東京商大学長,成蹊学園総長

生年月日
明治25年3月9日

出生地
静岡県大宮町

学歴
東京高商銀行科〔大正3年〕卒

学位
商学博士〔昭和8年〕

経歴
昭和2年東京商大教授。会計学専攻、8年に「グッドウイルの研究」で商博。15〜21年同大学長。戦後の22年第1次吉田茂改造内閣の経済安定本部長官、24年第3次内閣の文相、25年通産相、27年第4次内閣の郵政相を歴任。その間、22年の参院選に緑風会から当選。当選3回。23年には緑風会政調会長。日本経済学会理事長、産業教育振興会中央会長を歴任。文相時代、ドッジラインで財政窮乏下の6・3制教育制度の実施、新制大学育成などに尽力。著書に「会計学」「企業財政論」など。

没年月日
昭和41年9月4日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高瀬荘太郎」の意味・わかりやすい解説

高瀬荘太郎
たかせそうたろう

[生]1892.3.9. 富士宮
[没]1966.9.4. 東京
商業学者,教育家。高瀬家は静岡県の地主で,祖父の代から殖産興業に尽力した。 1916年東京高等商業学校 (現一橋大学) 卒業後,母校の教授として欧米に留学して商学を研究し,24年母校の東京商科大学教授となり,もっぱら科学的な商業学の樹立に努めた。 40年同大学学長に就任。第2次世界大戦後は政界に転じ,参議院議員となり,吉田内閣国務大臣文部大臣,通産大臣,郵政大臣を歴任した。主著に『暖簾の研究』 (1930) がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高瀬荘太郎」の解説

高瀬荘太郎 たかせ-そうたろう

1892-1966 大正-昭和時代の会計学者,政治家。
明治25年3月9日生まれ。昭和15年東京商大学長となる。戦後22年第1次吉田内閣の経済安定本部総務長官兼物価庁長官となり,同年参議院議員(当選3回,緑風会)。第3・第4次吉田内閣の文相,通産相,郵政相を歴任。昭和41年9月4日死去。74歳。静岡県出身。東京高商(現一橋大)卒。著作に「会計学」「企業財政論」など。

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367日誕生日大事典 「高瀬荘太郎」の解説

高瀬 荘太郎 (たかせ そうたろう)

生年月日:1892年3月9日
大正時代;昭和時代の会計学者;政治家。文部大臣;参議院議員(緑風会)
1966年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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