日本歴史地名大系 「高那村」の解説 高那村たかなむら 沖縄県:八重山諸島竹富町高那村[現在地名]竹富町高那(たかな)西表(いりおもて)島北東部に位置する。東から北は海に臨み、南は古見(こみ)岳に連なる峰を境に古見(くん)村、西はヨシケラ川付近を境に上原(ういばる)村と接する。村域中央部をユツン川、その東をホーラ川・ホネラ川(フネラ川とも)などが北流して海に注ぐ。北東端野原(のばる)崎の東海上にウ離(ばなり)島(アウ離島とも)がある。村域はほぼ近世初頭の古見(くん)間切与那良(ゆなら)村・平川(ぴいさがー)村にあたり、一部鬚川(ぴない)村にも及んだとみられる。与那良村はのちに当村小村となる。平川村は両島絵図帳に高一四石余とあるが、その後の変遷は不明で、ホーラ川付近に残る西平川(にしひらかわ)の小字や、八重山島由来記がホーラ川を「平嘉川原」と記すことなどから、同川流域にあったと考えられる。富川親方八重山島諸村公事帳によると、高那村東の「平川野」に烽火台が設置されていた。鬚川村は正保国絵図ではユツン川の近くに「ひけ川村」と記されるが、一七世紀後期には廃村となった(→上原村)。ユツン川は八重山島由来記に「よちん川原」とみえ、下流域は耕地も広く畑作に適していたため、小浜(こはま)島の百姓が古くから出作していた。しかし四、五里の海路を船で往復して難儀をしているとして、雍正一〇年(一七三二)近くの離島から六、七百人ほどを寄百姓して新村を立てたいと在番・頭が申請、「よちん」には良港もあるということで立村は許可され、高那村と称して与人・目差を配置(参遣状)、翌一一年の秋に小浜(くもーま)村百姓が移住した(八重山島年来記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by