鬼木村(読み)おにぎむら

日本歴史地名大系 「鬼木村」の解説

鬼木村
おにぎむら

[現在地名]栄町鬼木

刈谷田かりやだ川右岸の村で、北東尾崎おさき村・岡野おかの新田、南は鬼木新田と接する。天正六年(一五七八)九月一日の上杉景勝知行宛行状(御書集)によると、戦功により道金どうきん村・鬼木村などが岩井昌能に与えられた。文禄三年(一五九四)の定納員数目録には尾崎三郎左衛門の知行として「三条之内尾崎・鬼子村」がみえる。また同四年六月一一日の直江兼続黒印状(上松文書)に、鬼木村は出雲田いずもだ庄一五ヵ村の一つとして記される。

慶長三年(一五九八)頃の新発田御領内高付帳(新発田市史資料)には道金村尾崎村・鬼木村など一二ヵ村で一千五一石二斗余とある。同一〇年の給知方村々高目録(同資料)では鬼木村は毛付六九石五斗余・荒一〇〇石三斗余。


鬼木村
おんのきむら

[現在地名]豊前市鬼木

黒土くろつち村・広瀬ひろせ村の南に位置し、佐井さい川中流域左岸の沖積平野集落がある。江戸時代領主変遷今市いまいち村に同じ。


鬼木村
おにきむら

[現在地名]国見町神代こうじろ 東里ひがしさと

東神代村枝郷。寛文四年(一六六四)の鍋島光茂領知目録(寛文朱印留)に鬼木村とみえ、天明七年(一七八七)の佐賀領村々目録では高三一七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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