山梨県中西部、南巨摩郡(みなみこまぐん)にあった旧町名(鰍沢町(ちょう))。現在は富士川(ふじかわ)町の南部を占める地域。1896年(明治29)町制施行。1955年(昭和30)五開(ごかい)村と合併。2010年(平成22)増穂(ますほ)町と合併して富士川町となった。国道52号が走る。富士川の右岸、甲府盆地の南西端に位置し、江戸時代から明治後期まで静岡県富士市との間の富士川水運の河港として栄え、甲府盆地の門戸であった。しかし、中央本線、身延(みのぶ)線の開通により水運は衰えた。いまでは南巨摩郡の中心地となっており、富士川沿いの駿州(すんしゅう)往還(国道52号)の両側に細長く続く町並みが往時の河岸(かし)、宿場町のおもかげをとどめているにすぎない。観光地に十谷(じっこく)温泉や大柳川(おおやながわ)渓谷があり、特産品に雨畑硯(あめはたすずり)がある。なお、JR身延線鰍沢口駅は対岸市川三郷(いちかわみさと)町にある。
[横田忠夫]
『『鰍沢町誌』上下(1998・鰍沢町)』
落語。幕末に三遊亭円朝がつくった三題咄(さんだいばなし)で、その三題は「小室山(こむろさん)の御封(ごふう)、玉子酒、熊の膏薬(こうやく)」という。『鰍沢雪の夜噺(よばなし)』の演題で芝居咄としても演じられたが、その方法は8代目林家正蔵(彦六)が昭和の時代に伝えた。身延山(みのぶさん)参詣(さんけい)の新助が雪の道に行き暮れて民家に泊る。そこにいた元吉原の花魁(おいらん)で、いまはお熊という女に玉子酒を飲ませてもらって隣室で休む。お熊が酒の買い足しに出たあとへ亭主で熊の膏薬売りの伝三郎が戻り、玉子酒の残りを飲んで苦しむ。お熊が自分の金を取るために玉子酒の中に毒薬を入れたことを知った新助は、外へ転がり出て小室山の御封(毒消しの護符)を飲んで逃げる。お熊が追っかけて放った鉄砲の玉が岩角に当たる。鰍沢の崖から川に落ちた新助が、筏(いかだ)の材木につかまって「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」を唱えていたので「お材木(お題目)で助かった」。落ちは拙劣だが、この作の背景には江戸庶民の信仰生活があり、史料的価値もある。
[関山和夫]
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