鳥山喜一(読み)トリヤマ キイチ

20世紀日本人名事典 「鳥山喜一」の解説

鳥山 喜一
トリヤマ キイチ

大正・昭和期の東洋史学者



生年
明治20(1887)年7月17日

没年
昭和34(1959)年2月19日

出生地
東京府本郷区(現・東京都文京区)

学歴〔年〕
東京帝大文科大学史学科〔明治44年〕卒

学位〔年〕
文学博士

経歴
中央大学講師を経て、大正8年新潟高等学校教授、昭和3〜20年京城帝大教授、21年第四高等学校長、24年金沢大学法文学部長、のち富山大学長、29年東洋大学教授。中国に再三調査旅行をし、昭和4年欧米留学。渤海史の研究で知られる。著書の少年向けの中国史「支那小史―黄河の水」は戦前戦後を通じ版を重ねた。他に「渤海史考」「東洋史観」「満鮮文化史観」「東京城」「失われたる王国」「渤海史上の諸問題」(遺著)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鳥山喜一」の意味・わかりやすい解説

鳥山喜一
とりやまきいち
(1887―1959)

東洋史学者。東京に生まれる。1911年(明治44)東京帝国大学史学科卒業。19年(大正8)新潟高校教授。その後、京城帝国大学教授、第四高等学校長、金沢大学文学部長、富山大学長を経て、東洋大学教授在任中に没。満鮮史研究、とくに渤海(ぼっかい)史研究の第一人者で、『渤海史考』(1915)、『満鮮文化史観』(1935)などの著書がある。文章に優れ、また画筆にも優れていた。『黄河の水』(1926)はいまでも平易な中国史概説書として親しまれている。

[星 斌夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鳥山喜一」の意味・わかりやすい解説

鳥山喜一
とりやまきいち

[生]1887.7.17. 東京
[没]1959.2.19. 東京
東洋史学者。 1911年東京大学文科大学史学科を卒業。 28~45年京城帝国大学教授。のち旧制第四高等学校,金沢大学,富山大学,東洋大学に勤めた。渤海国時代の満州史の研究によって知られる。主著に『渤海史考』 (1915) ,『東京城』 (43) ,『失はれたる王国』 (49) があり,『黄河の水』 (26) も中国史概説の名著とされる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鳥山喜一」の解説

鳥山喜一 とりやま-きいち

1887-1959 大正-昭和時代の東洋史学者。
明治20年7月17日生まれ。京城帝大教授,四高校長,金沢大教授,富山大学長などをつとめる。渤海(ぼっかい)史研究で知られ,また「黄河の水」は名著とされる。昭和34年2月19日死去。71歳。東京出身。東京帝大卒。著作ほかに「渤海史考」「満鮮文化史観」など。

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367日誕生日大事典 「鳥山喜一」の解説

鳥山 喜一 (とりやま きいち)

生年月日:1887年7月17日
大正時代;昭和時代の東洋史学者。富山大学学長;金沢大学教授
1959年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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