鳥海月山両所宮
ちようかいがつさんりようしよのみや
江戸時代城下町であった宮町北西部に鎮座する。祭神は稲倉魂命(鳥海山大物忌大神)と月夜見命(月山月読命)。旧県社。例祭八月一日。町を戦火から守る城下北部の鎮守で、城下の人々にお宮様とよばれて南部の六椹八幡宮とともに崇敬された。三千坪ほどの境内はけやき・もみじなどの森で、広壮な楼門と社殿が並ぶ。承安年中(一一七一―七五)に馬見ヶ崎川上流に住む炭焼藤太が砂金鉱を発見し、大商人となった息子の金売吉次が宮殿や楼門などを寄進、吉事宮とよばれたのに始まると伝える。吉次が境内の泉で金を洗ったため金井水の名が生れ、当地付近が金井庄とよばれるようになったという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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