鳩原村(読み)はとのはらむら

日本歴史地名大系 「鳩原村」の解説

鳩原村
はとのはらむら

[現在地名]河内長野市鳩原はとはら

観心寺かんしんじ村から川上かわかみ谷をさかのぼった山間に位置する。川上谷より中津原なかつはら(現南河内郡千早赤阪村)へ越える道に沿って東端ひがしばた、川上谷をのぼったところに西端にしばた集落がある。「続日本紀」文武天皇三年(六九九)三月九日条に「河内国献白鳩、詔免錦部郡一年租役」とみえる白鳩を献じた所なので、村名が生じたという(河内志)中世には観心寺庄を構成する一所で、鳩原郷とも鳩原村ともよばれた。延元二年(一三三七)一二月二日の石女田畠山地譲状(観心寺文書)に「観心寺庄鳩原郷内八千谷山一所東和田山一所」とみえ、正平六年(一三五一)四月日付比丘性空田地寄進状(同文書)には「観心寺御庄内鳩原村字西和田」とある。


鳩原村
はとばらむら

[現在地名]角田市鳩原

伊具いぐ郡の北端に位置し、東は亘理わたり丘陵北端、西は北流する阿武隈川で限られる。北西白石しろいし川が合流する。阿武隈川沿いを小坂おさか(亘理郡用水)が北流する。南は小坂村。天文一三年(一五四四)一月二四日、伊達晴宗から柴田郡四保しほ(現柴田町)の四保宗義に鳩原等が与えられた(伊達正統世次考)正保郷帳では田一九貫三六文・畑九貫五九五文、水損と注記される。


鳩原村
はつはらむら

[現在地名]敦賀市鳩原

道口みちのくち村の南、疋田ひきた川の左岸に位置し、西近江路が通る。永享二年(一四三〇)五月の斯波義淳西福寺々領安堵状(西福寺文書)に「鳩原」、大永五年(一五二五)五月の気山権頭楽頭職譲状(江村家文書)に「はつ原」とみえる。

慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では道ノ口村に含まれ、正保郷帳では高一一三石余(うち田方一一二石余)。天和二年(一六八二)小浜藩領より旗本井川領となる。享保一二年(一七二七)敦賀郷方覚書には庄屋弥右衛門(持高一九石余)、牛馬銀一五匁、新山手銀一八匁余、雉札一匁、岩籠山手銀四〇匁余、夫役三分、夫米二俵余、馬足四疋、牝馬四、家数一二(うち高持八・無高三・寺一)、人数五一とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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