朝日日本歴史人物事典 「鶴沢友次郎(初代)」の解説
鶴沢友次郎(初代)
生年:生年不詳
江戸中期の義太夫節三味線弾き。初代竹沢権右衛門の門弟。鶴沢派の祖で盲目の検校。前名三二。享保5(1720)年に友次郎と改名,のちに竹本座の立三味線となり,延享4(1747)年の浄瑠璃評判記では,太夫の豊竹上野少掾(2代)を超えて最高位の極上々吉無類に位付けられた。弟子に2代目友次郎,初代寛治,大西藤蔵らがいる。なおこの名は,義太夫節三味線の最も重い名称とされ,代々その時代の浄瑠璃界の中心的存在であった。<参考文献>『義太夫年表/近世篇1』,細川景正『当流浄瑠璃三味線の人人』,4代目竹本長門太夫著・木谷蓬吟校訂『浄瑠璃大系図』(音曲叢書6巻)
(鎌倉惠子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報