鹿子島村(読み)かのこしまむら

日本歴史地名大系 「鹿子島村」の解説

鹿子島村
かのこしまむら

室町期、鎌倉鶴岡八幡宮外方供僧集会の記録である香蔵院珎祐記録(国学院大学図書館蔵)にみえる村名。多摩川両岸の現一ノ宮いちのみや関戸せきど地区から府中市四谷よつや付近に比定される。鶴岡社領多摩郡関戸(吉富)六ヵ村の一。関戸郷は宇都宮氏によって度々押妨を受けていたが、寛正二年(一四六一)六月になって、関戸六ヵ村の守護役・供僧中役が鹿子島村分のみ納入されず、鎌倉建長寺天源庵が堀越公方足利政知あるいは関東探題渋川義鏡の支持を得て押領していたことが判明する。その後天源庵や渋川義鏡の被官板倉新左衛門尉・伊香民部らと交渉をもったようであるが、その帰趨は明らかではない(同記録寛正二年七月・八月条)。鹿子島村の位置について明確な徴証は見いだされておらず、読みも明らかではないが、その語義から鹿子模様のような島状の地形が想定され、多摩川沿いの河川敷あるいは中洲が該当する。


鹿子島村
かのこじまむら

[現在地名]江南市鹿ノ子島

草井くさい村の西にある小村。北境を木曾川が流れ、中央に囲い堤があって、南側に人家が建並んでいた。船渡場への路が木曾川の河原まで続いていた(天保村絵図)。「地方古義」に「鹿子島村自分渡」とみえる。現在宮田用水が南を通っている。「尾張志」は曼陀羅まんだら寺の永正五年(一五〇八)の古状に「畠二段四百五十文カノコ島弥二郎」とみえたことを伝える。天文一六年(一五四七)曼陀羅寺祠堂年貢注文写(曼陀羅寺文書)に「六百文此内四十文かのこしま人役小作」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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