黄景仁(読み)こうけいじん(英語表記)Huáng Jǐng rén

精選版 日本国語大辞典 「黄景仁」の意味・読み・例文・類語

こう‐けいじん クヮウ‥【黄景仁】

中国、清代の詩人。字(あざな)は漢鏞(かんよう)、仲則。号は鹿菲子。江蘇武進の人。盛唐の詩を学び、作風抒情性に富む。著「両当軒集」「悔存詩鈔」。(一七四九‐八三

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改訂新版 世界大百科事典 「黄景仁」の意味・わかりやすい解説

黄景仁 (こうけいじん)
Huáng Jǐng rén
生没年:1749-83

中国,清代中期,江蘇省武進出身の詩人。字は仲則。若くして詩才をみとめられたが,貧窮と病弱に悩みながら,地方試験に及第することもなく,地方高官の秘書北京での四庫全書館館員をつとめて夭折した。夢と幽(くら)さと愁いをおりこみながら感傷的に苦吟する詩編には,乾隆期の繁栄にとりのこされた一青年の抒情がある。親友洪亮吉の評に〈露に咽(むせ)ぶ秋虫,風に舞う病鶴の如し〉と。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「黄景仁」の意味・わかりやすい解説

黄景仁
こうけいじん
(1749―1783)

中国、清(しん)代の詩人。字(あざな)は仲則、号は鹿菲子。江蘇(こうそ)省武進の出身。4歳で父を失い、貧困のうちに詩に開眼した。官吏としては志を得ず、また病気がちだったが旅を好んで全国に足跡を残した。その詩才は大官朱筠(しゅいん)や翁方綱(おうほうこう)などに愛され、洪亮吉(こうりょうきつ)と親交があった。多愁多感で、乾隆(けんりゅう)の詩人たちのなかでは、もっとも個性的、そして叙情性に富む。35歳で肺患のため山西省解州で死んだ。郁達夫(いくたつふ)の小説『采石磯(さいせっき)』は黄景仁を主人公とした作。ほかに『両当軒詩集』16巻がある。

佐藤一郎

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黄景仁」の意味・わかりやすい解説

黄景仁
こうけいじん
Huang Jing-ren

[生]乾隆14(1749)
[没]乾隆48(1783)
中国,清の詩人。江蘇省武進県の人。字,漢 鏞。号,鹿菲子。貧困に生涯苦しんだ。詩は七言に巧みで,李白の風があると評され,不遇を詠じて寂寞とした作や,世を憤る作などが多い。詞,駢文 (べんぶん) にも秀でた。日本でも明治後期によく読まれた。著書『両当軒集』『竹眠詞』など。

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