洪亮吉(読み)こうりょうきつ(その他表記)Hong Liang-ji

精選版 日本国語大辞典 「洪亮吉」の意味・読み・例文・類語

こう‐りょうきつ‥リャウキツ【洪亮吉】

  1. 中国、清代中期の文人学者。字(あざな)は君直、稚存。号は北江江蘇陽湖の人。清代八大家の一人。駢儷体(べんれいたい)にすぐれ、黄景仁と並んで「洪黄」と称せられた。経学、歴史地理にも詳しかった。著「春秋左伝話」「補三国疆域志」など。(一七四六‐一八〇九

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「洪亮吉」の意味・わかりやすい解説

洪亮吉
こうりょうきつ
Hong Liang-ji

[生]乾隆11(1746)
[没]嘉慶14(1809)
中国,清の文学者,学者。江蘇省陽湖の人。字,稚存,君直。号,北江,更生居士。乾隆 55 (1790) 年進士に及第,翰林院編修,石経館収掌,貴州学政を歴任。嘉慶4 (99) 年政治を批判した上書で不敬罪となり新疆の伊犁 (イリ) に流されたが,100日で許され帰郷。その後更生居士と号し郷里で没した。若い頃から詩名が高く,同郷の親友黄景仁と「洪黄」と並称され,は五代,北宋を宗とする「陽羨 (ようせん) 詞派」に属した。駢文 (べんぶん) にも巧みで,袁枚 (えんばい) ,孔広森らとともに「清代八大家」の一人とされる。経学,歴史学地理学にも詳しく,府県志を多く編纂。『春秋左伝詁』『東晋疆域志』『十六国疆域志』『六書転注説』『伊犁日記』『意言』などを『洪北江全集』に収めている。詩集『巻施閣詩』『付きつ (ふきつ) 軒詩』『更生斎詩・詩余』のほか『北江詩話』がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「洪亮吉」の意味・わかりやすい解説

洪亮吉 (こうりょうきつ)
Hóng Liàng jí
生没年:1746-1809

中国,清中期の学者。字は稚存,号は北江。江蘇省陽湖の人。乾隆55年(1790)の進士。皇曾孫の侍読をつとめたが,1799年(嘉慶4)時政を論じた上書で新疆イリ(伊犂)に流され,100日後,許され帰郷してから更生居士と号した。経学,史学,ことに地理学にくわしく,名勝志,遊記を多数書き,府県志を多く編纂している。若くして詩人の名があり,散文および駢文(べんぶん)作家としても知られる。《洪北江詩文集》66巻がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「洪亮吉」の意味・わかりやすい解説

洪亮吉
こうりょうきつ
(1746―1809)

中国、清(しん)代の文人、学者。字(あざな)は君直(くんちょく)、稚存(ちぞん)。号は北江(ほくこう)、更生(こうせい)居士。江蘇(こうそ)省陽湖(武進)の人。1790年(乾隆55)の進士。翰林院(かんりんいん)編修、貴州学政などを歴任して皇孫の侍読を務めたが、1799年上書して不敬罪に問われ新疆(しんきょう)イリに流された。翌1800年赦免(しゃめん)されたのちは更生居士と号して著述に専念した。早くから詩人あるいは駢文(べんぶん)の大家として知られ、学者としても経学、地理学、史学に優れていた。『春秋左伝詁(こ)』12巻、『補三国疆域志(きょういきし)』2巻など多くの著述があり、『洪北江全集』に収める。

[佐藤 保 2016年3月18日]

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