改訂新版 世界大百科事典 「黒谷紙」の意味・わかりやすい解説
黒谷紙 (くろたにがみ)
京都府綾部市黒谷町および八代町ですかれている楮紙(こうぞがみ)を中心とした,各種の手すき和紙をいう。丹波・丹後は古代において主要な製紙国であった。江戸時代にも,この地方にはいくつかの紙の産地があり,公用紙である奉書や杉原紙をすくもの,周囲の農村向けの障子紙や傘紙をすくものなどがあったが,黒谷紙は直接,都会の使用者と結びつく独自の道をとった。黒谷ははじめ山家藩に属していたが,のちに天領となった。代官の奨励で製紙が発展し,1859年(安政6)には京都の呉服の越後屋の世話で,京都の紙すき職人友三郎が技術指導にきている。すなわち京都の使用者が紙問屋の手を経ずに,代官や庄屋の管理のもとに,直接,生産者と結びつき,安く使用者の用途に向く紙を得ようとはかったものである。このため黒谷には地元問屋が存在せず,明治時代になっても黒谷紙は協同販売を行った。92年に黒谷に紙類共同販売組合が結成されて以来,統制のとれた生産管理のもとに,原料の協同購入・協同販売が現在にいたるまで一貫して行われてきた。黒谷紙の中心となるのは傘紙(現在は渋札紙(しぶふだがみ)として使う)で,ほかに紙衣(かみこ)紙や染紙などの和紙加工用紙・生漉(きずき)奉書・呉服用の文庫紙(ぶんこし)・提灯紙・表具用紙(文化財保存修理用の木灰煮(きばいに)を含む)・書道用紙(半紙や画仙紙)・薄紙(薄美濃紙や三椏(みつまた)の薄様(うすよう))・色紙・短冊・名刺・葉書などと種類が多い。これは,すく紙を一つのものに片寄らせず,市場を分散させるという,黒谷紙の経営計画から生まれたことである。このように堅実な計画で伝統的な方法を固守して生産してきた結果,黒谷紙の製品に対する信用は高い。たとえば,産地全体で板干しの天日乾燥を行う所は,現在,黒谷紙以外には見当たらない。
執筆者:柳橋 真
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報