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中世に武士や僧侶が贈物に盛んに用いた和紙で,ひきつづき近世まで使われた。杉原紙の起源については,美濃説(岐阜県揖斐川町の旧藤橋村)と播磨説(兵庫県多可郡杉原谷村,現多可町)の論議があったが,現在は播磨説が定説となっている。この地は椙原(すぎはら)庄とよばれ平安時代から製紙が行われていたが,盛んになったのは鎌倉時代以後で,とくに武士や僧侶の間で〈一束一本〉(杉原紙1束(10帖)に末広1本を加える),〈一束一巻〉(杉原紙1束の上に紋緞子1巻をおく)などと称して贈物に使われた。室町初期に成立したと思われる《書札作法抄》には,武家は杉原でなくては文を書かぬこと,ゆめゆめ引合(ひきあわせ)・檀紙(だんし)などには書くべからずとある。杉原紙は檀紙より小さくて薄かったといわれ,檀紙ほど格式ばっていなかったのが新鮮で,新興階級の武士の趣向にあったものと思われる。江戸時代になると,各産地で杉原紙がすかれ,庶民も杉原紙で手紙を書くようになり,大衆化した。それにともない,杉原紙の呼名も〈すいはら〉〈すいばら〉〈すいば〉〈すい〉などとくずれていき,水原と書く場合もみられるようになった。近代になって生産が絶えていたが,1972年にゆかりの地の加美町で,町営の製紙場である杉原紙研究所が設けられ,活発な生産が行われている。
執筆者:柳橋 真
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「すいばらがみ」とも。椙原(すぎはら)紙・水原(すいばら)紙とも。播磨国杉原谷(現,兵庫県多可町加美区)で生産された代表的な楮紙(ちょし)。1219年(承久元)にはすでに流布していた。室町時代には京都を中心に幅広く用いられ,贈答用として珍重された。杉原紙10帖に末広1本を添えた「十帖一本」は献上品の一つの様式として定着し,江戸時代にも用いられた。広く流布し,播磨国以外でも類似品が生産されるようになった。
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報
…しかし,しだいに伯耆は鉄,因幡は紙と代表的な産物が分かれていった。中世の中央の文献に因幡紙の名は出てこないが,中世末期の事情を反映している江戸初期の《毛吹草》には,用瀬(もちがせ)町家奥の椙原(すぎはら)(杉原紙)と河原町曳田(ひけた)の鼻紙が因幡の名産とされている。《紙譜》(1777)には,各種の奉書と杉原紙(地肌が美しいと評判)とともに,小半紙,小杉,障子紙などの日用品があげられている。…
…加古川支流の杉原川上流域を占め,町域の大部分が山林である。平安時代からコウゾを原料とする杉原紙の産地として知られ,江戸後期まで和紙の生産が盛んであった。明治になって和紙の生産は衰え,大正時代には廃絶されたが,現在は杉原紙研究所が設けられ,伝統技術の保存につとめている。…
…〈たたみがみ〉の音便で,衣冠束帯のときに懐中する紙をいう。帖紙とも書く。《枕草子》に〈みちのくに紙の畳紙の細やかなるが〉とあり,最初はあまり厚くない檀紙(だんし)をたたんだものと想像される。のちには〈引きあわせ〉〈杉原〉など,主としてコウゾ系統の厚様(あつよう)が使われたが,ガンピ系統の〈鳥の子〉の例もないではない。武家では〈杉原〉を使うのが故実であるが,直垂(ひたたれ),狩衣(かりぎぬ),大紋などを着るときは必ず色目のあるものを用いたという。…
…農林業でいえば13世紀の国内の山林荒野の開発はめざましく,1276年(建治2)播磨淡河(あわかわ)荘と摂津山田荘の境界争いは,相互の開発拡大が国境争いにまで到達したものといえよう。手工業でも,杉原紙は近衛家領椙原荘が中心であり,また1191年の長講堂領目録には松井荘の特産として鍋や鉄輪がみえるのも,製鉄や鋳物業の発達を物語る。それにともない交易市場や物資集散港が発達する。…
※「杉原紙」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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