龍福寺跡
りゆうふくじあと
仲間に造営された仏教寺院。跡地は浦添中学校の校庭南西端辺りとされる。「琉球国由来記」に首里の北にある金剛嶺(経塚)を過ぎて半里ほどの所に一練若(寺院)があり、天徳山龍福寺と号するとある。間切集成図には浦添旧城の西麓に建物と龍福寺の名が記される。宗派は臨済宗で、文殊菩薩騎獅仔像を安置している。英祖王代の咸淳年間(一二六五―七四)に禅鑑が浦添城の西に創建し、補陀洛山極楽寺と号した(「球陽」英祖王二年条)。「琉球国由来記」にも浦添極楽山は英祖王が造営したとある。極楽寺は琉球国最古の寺院とされ、浦添ようどれの北側にあった御墓番の屋敷跡一帯が極楽寺跡と伝えられる。尚巴志の在位中(一四二二―三九年)往来不便のため前谷(場所不明)に移建されたが、のち火災に遭い荒廃した。第二尚氏尚円在位の成化年間(一四六五―八七)浦添村(中間村)に歴朝の王廟として再興され、天徳山龍福寺と改号、芥隠を開山に迎えた(「球陽」尚円王六年条、「琉球国由来記」)。万暦二五年(一五九七)九月吉日の浦添城の前の碑の裏に、浦添出身の尚寧王が三年に一度、五年に再度、彼地の仏塔を拝み、神社を仰ぐとあるのは、当寺のことであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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