朝日日本歴史人物事典 「尚巴志」の解説
尚巴志
生年:察度23(1372)
15世紀,琉球で最初の統一王朝を樹立した国王。在位18年(1422~39)。14世紀初頭,沖縄本島は北山,中山,南山と呼ばれる3つの政治勢力によって支配され,この3勢力がそれぞれ中国(明朝)と朝貢貿易を行い,覇権争いを繰り広げていた。沖縄本島の南部・佐敷グスクを拠点とした尚巴志は,父の思紹と協力して勢力を拡大,21歳で佐敷按司(豪族)となった。武寧7(1402)年,島添大里按司を攻略し,東四間切を支配下におさめ,さらに4年後浦添グスクの中山王武寧を攻め滅ぼして父の思紹を中山王にした。のちに中山の拠点を浦添から首里に移して,尚巴志は首里城を整備し,第一尚氏王朝の基礎を確立した。こうして中山勢力の覇権を握ることになった尚巴志は,さらに三山統一をめざし,尚思紹11(1416)年,攀安知の居城・今帰仁を攻略し,次男尚忠を北山監守に任じて地域支配の拠点を固めた。次いで尚巴志8(1429)年には南山の他魯毎を攻め滅ぼし,三山統一を成し遂げた。こうした琉球国の政治的統一と並行して,尚巴志は海外貿易にも力を入れ,中国,日本,朝鮮,東南アジア諸国と活発な貿易活動を展開した。三山統一の前年にスマトラ島の旧港国,同9年にはジャワ島の爪哇国との正式な通交が開かれ,翌年には朝鮮国にも通交の使者を派遣した。この時代,明から甘蔗(サトウキビ)が輸入され栽培が盛んとなる。尚巴志の遺骸は首里の天山陵に葬られた。その死を悼んだ側近の懐機の書状が,琉球から海を越えて中国江西省・竜虎山(道教の聖地)の天師のもとへ送られた。
(真栄平房昭)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報