龍福寺(読み)りゆうふくじ

日本歴史地名大系 「龍福寺」の解説

龍福寺
りゆうふくじ

[現在地名]天理市滝本町

布留ふる(桃尾滝)の北側上手にあったが、明治期に廃絶。龍蓋りゆうがい(岡寺、現奈良県明日香村)龍門りゆうもん(現同県吉野町)とともに大和の三龍寺と称し、真言密教の大道場として栄え、桃尾もものお寺ともいった。「沙石集」には「桃ノ尾山寺」とある。縁起によれば、桃尾山蓮華王れんげおう院と号し、本尊には十一面観音を安置していたという。龍福寺旧記写(玉井家文書)には「其後元明天皇和銅年中義淵僧正草創、其後中絶、天長三年弘法大師再興以前者雖法相宗、自弘法大師真言、拾芥抄曰龍福寺開山者釈ノ兼俊法興院殿下之遺子也」と記される。中世には興福寺一乗院門跡祈願所として同院末寺となり、寺辺六町二反半が一乗院領龍福寺となる(貞和三年二月日「興福寺造営料大和国八郡段米田数并済否注進状」春日大社文書)


龍福寺
りようふくじ

[現在地名]富加町加治田 下町

加治田下町かじたしもまちの奥、梨割なしわり山の山懐にある。臨済宗妙心寺派、臨済山と号し、本尊聖観音。弘治三年(一五五七)加治田城主佐藤忠能の母(徳林妙福大姉)の寄進によって小庵が設けられ、永禄一〇年(一五六七)忠能はこれを拡張し、佐藤家の菩提寺として龍福寺を創建、天猷玄晃を迎えて開山とし、天猷は蘭玄秀を請して勧請開山とした。寺領について、永禄一〇年一一月一五日の佐藤忠能安堵状(龍福寺文書)に「東ハ烏帽子岩の峰とをりを限り、西ハかうか洞の西之嶺通をかきり、南ハ門前新沢屋敷共に町うらを限り、北ハ山の嶺を限り」とあり、また門前の東西の境をはっきりさせるために二日後の書状(同文書)では「御門前之義、東ハ的場、西ハ田畔を限なり」とある。


龍福寺
りゆうふくじ

[現在地名]明日香村大字稲渕

稲渕いなぶち集落の南端、小丘上にある。天徳山和合院と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。境内に竹野王たけのおう碑とよばれる層塔がある。破損して現在は四重目軸部までになっているが、もとは五重塔であったとみられる。初重軸部の四方に「昔阿育王八万四千塔」から始まる刻銘があるが、凝灰岩のため風化摩滅がはなはだしくほとんど読めない。東面に「朝風南葬談武之峯」と地名がみえ、末尾には「天平勝宝三年歳次辛卯四月廿四日丙子 従二位竹野王」と刻まれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「龍福寺」の解説

龍福寺

山口県山口市にある曹洞宗寺院。1206年創建時は臨済宗。室町時代中期に建てられた本堂は国の重要文化財に指定されている。

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