久成寺(読み)くじようじ

日本歴史地名大系 「久成寺」の解説

久成寺
くじようじ

[現在地名]前沢町 山下

霊桃れいとう寺の北方にある。寿性山と号し、日蓮宗。本尊久遠実成本師釈迦如来。天和元年(一六八一)三沢宗直が前沢領主となったが菩提所がなく、西岩せいがん寺を仮の菩提所としていた。弘化二年(一八四五)七代邦明が僧日深を開山として、寿性すしよう庵を建てて先祖の菩提を弔ったのが久成寺の前身である。その後住持日澄が慶応元年(一八六五)柴田しばた神次郎じんじろう(現宮城県角田市)にかつてあった久成寺の寺基を前沢に移し、三沢氏の家臣武田久馬ほか七八名の寄付によって堂宇建立、寿性山久成寺とした(胆沢郡誌)


久成寺
くじようじ

[現在地名]鎌倉市植木

玉縄たまなわ城跡の南、字相模陣さがみのじんにある。日蓮宗、光円山久成寺と号する。もと身延山久遠くおん寺末。本尊三宝祖師。文政三年(一八二〇)の「久成寺略縁起」によると、永正一七年(一五二〇)梅田尾張守秀長が宅地を寄進して建立、開山は常光院日瞬、中興は日通というが、本覚ほんがく寺蔵の寺々境内開基年数改帳では開創を享禄元年(一五二八)とする。天正一九年(一五九一)徳川家康より玉縄郷内で三石の寺領寄進を受ける(寛文朱印留)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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