山科 言縄(読み)ヤマシナ トキナオ

20世紀日本人名事典 「山科 言縄」の解説

山科 言縄
ヤマシナ トキナオ

江戸時代末期〜大正期の服制故実家,伯爵



生年
天保6年6月20日(1835年)

没年
大正5(1916)年11月6日

出生地
山城国(京都府)

経歴
世々装束衣紋をもって奉仕する山科家に生まれる。弘化2年世襲の官職である内蔵頭に任ぜられ、安政4年左近衛権少将を兼任、慶応2年右近衛中将に転じる。この間、文久3年石清水臨時祭に勅使として参向、攘夷祈願のことを奉仕。慶応元年東宮御用掛となり有職故実を進講し、3年には一時議奏加勢として時務に関与した。維新後は桂宮祇候・殿掌を務めた他は官途につかず、家業として伝承した衣紋道・有職故実等の保存・教授に尽した。明治17年伯爵となる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山科 言縄」の解説

山科言縄 やましな-ときなお

1835-1916 幕末-明治時代公卿(くぎょう),有職(ゆうそく)家。
天保(てんぽう)6年6月20日生まれ。山科言成(ときなり)の子。一説に山科言知(ときとも)の子とも。弘化(こうか)2年内蔵頭(くらのかみ)となる。維新後は宮中儀式,天皇即位式の装束などを監修した。日記に「言縄卿記」がある。大正5年11月6日死去。82歳。名は「ときつな」ともよむ。

山科言縄 やましな-ときつな

やましな-ときなお

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の山科 言縄の言及

【山科家】より

…藤原北家房前(ふささき)の男魚名の後裔で,四条家の支流に当たる。すなわち四条中納言家成の六男権中納言実教(さねのり)(1150‐1227)を祖とする。後白河法皇の寵妃丹後局(高階栄子)の子教成(のりしげ)(1177‐1239)は法皇の信任が厚く,勅旨により四条実教の嗣子となり,丹後局の山科の別業を譲られ,子孫は同所に住んだが,南北朝時代の中ごろ,教行のときから地名にちなんで山科を姓とするようになった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」