岡 不崩(読み)オカ フホウ

20世紀日本人名事典 「岡 不崩」の解説

岡 不崩
オカ フホウ

明治〜昭和期の日本画家



生年
明治2年7月15日(1869年)

没年
昭和15(1940)年7月29日

出生地
福井県

本名
名和 吉寿

学歴〔年〕
東京美術学校

経歴
明治14年狩野友信に学び、のち狩野芳崖師事。22年東京美術学校の第1期生となるが、翌23年東京高等師範の講師となり、小中学校での毛筆による図画教育法を研究、教科書を編纂した。28年退職、以後5年間九州を遊歴。この間長崎浩水女学校、大村中学校で教鞭を執る。33年東京に戻り、府立第二高女・女子師範教諭となる。35年同志と真美会を創立、理事・審査員を務めた。また大正11年白井光太郎と本草会を結成。「山水図」(襖八面)、「春草花」など山水・花卉をよくした。晩年画壇を退いて古典を研究、著書に「万葉集草木考」「古典草木雑考」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡 不崩」の解説

岡不崩 おか-ふほう

1869-1940 明治-昭和時代前期の日本画家。
明治2年7月15日生まれ。狩野(かのう)友信,狩野芳崖(ほうがい)に師事する。明治23年高等師範講師となり,図画の教科書を編集。28年退職後長崎,東京などで教壇にたった。35年真美会を創立。昭和15年7月29日死去。72歳。越前(えちぜん)(福井県)出身本名は名和吉寿。著作に「万葉集草木考」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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