島田善介(読み)シマダゼンスケ

デジタル大辞泉 「島田善介」の意味・読み・例文・類語

しまだ‐ぜんすけ【島田善介】

[1888~1955]野球選手・指導者栃木の生まれ。旧名福田子之助。慶大捕手として活躍し、明治44年(1911)米国遠征に参加。大正11年(1922)三田倶楽部クラブ一員として米国メジャーリーグ選抜チームを初めて破る。のち日本学生野球協会副会長を務めるなど、学生野球の発展尽力

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20世紀日本人名事典 「島田善介」の解説

島田 善介
シマダ ゼンスケ

明治〜昭和期の野球選手



生年
明治21(1888)年10月1日

没年
昭和30(1955)年1月29日

出生地
栃木県氏家町

旧姓(旧名)
福田 子之介(フクダ ネノスケ)

学歴〔年〕
慶応義塾大学〔明治44年〕卒

経歴
慶応普通部に入学してすぐ遊撃手で活躍、明治39年慶大に入り捕手となり、強肩で鳴らした。対一高戦、早慶戦で活躍、44年第1次渡米では三宅大輔らと好成績をあげた。卒業後OBでも活躍、名を島田善介と改め、大正11年来日4度目の米国大リーグ選抜軍に三田倶楽部として対戦、投手小野三千麿を助け、大ホームランを放ち、9対3で日本に初勝利をもたらした。晩年は日本学生野球協会の審査室委員、副会長を務めた。昭和44年野球殿堂入り。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島田善介」の解説

島田善介 しまだ-ぜんすけ

1888-1955 明治-昭和時代の野球選手,指導者。
明治21年10月1日生まれ。慶大の強肩の捕手として早慶戦などで活躍。明治44年の第1次渡米チームに参加。卒業後もOBとして活躍。大正11年三田倶楽部(クラブ)の捕手としてアメリカ大リーグ選抜軍と対戦。のち日本学生野球協会副会長などをつとめた。昭和30年1月29日死去。66歳。44年野球殿堂入り。栃木県出身。旧名は福田子之介。

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