御法川 直三郎(読み)ミノリカワ ナオサブロウ

20世紀日本人名事典 「御法川 直三郎」の解説

御法川 直三郎
ミノリカワ ナオサブロウ

明治〜昭和期の発明家 御法川式製糸機発明者。



生年
安政3年7月13日(1856年)

没年
昭和5(1930)年9月11日

出生地
出羽国秋田(秋田県)

学歴〔年〕
農商務省蚕病試験場修了

経歴
秋田藩士の二男として生まれる。家は代々藩の養蚕方を務め、明治維新後に川村永之助頭取とする六徳組(のち川尻組)に入り、蚕種製造などに従事。明治20年上京して農商務省蚕病試験場に学ぶ。22年東京・本郷に養蚕工舎を設立。33年には日本初の蚕糸専修学校を創立して校長を務めた。また21年に熱菌殺機を発明したのを皮切りに四条繰糸機、蒸気応用乾繭機、多管式蒸気乾燥機など生涯に150以上の発明特許を取得。36年十二条、37年には二十条の多条繰糸機を完成させるも長らく実用化を見送られたが、大正11年片倉製糸紡績に採用されると最高級生糸を生み出し、海外市場で“ミノリカワ・ローシルク”として高い評価を得た。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「御法川 直三郎」の解説

御法川直三郎

没年:昭和5.9.11(1930)
生年:安政3.7.13(1856.8.13)
明治大正期の製糸機械の発明家。出羽国秋田城下の士族の家に生まれる。若いころ,地元や福島県で養蚕・蚕種製造に従事。明治20(1887)年に西ケ原蚕病試験場を修了したころから発明の天分を現し,以後製糸機械を中心に次々に重要な発明を行った。36,37年には早くも多条繰糸機を発明したが,これが実用化したのは,大正11(1922)年に片倉製糸が採用してからのことであった。片倉製糸は御法川式多条機により最高級格生糸を昭和5(1930)年ごろに一時独占的に生産し,これはミノリカワ・ローシルクとしてニューヨーク生糸市場に名を轟かせた。発明以外にはほとんど趣味がないというほどの発明の虫であったが,晩年には養蚕農民の立場に立った「製糸業革新意見」を述べており,自らの発明の社会的意味にも並々ならぬ関心を寄せていたことを窺わせる。<参考文献>丹羽四郎編『御法川直三郎翁自伝』,同『御法川直三郎翁とその事蹟』

(松村敏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「御法川 直三郎」の解説

御法川直三郎 みのりかわ-なおさぶろう

1856-1930 明治-大正時代の製糸機発明者。
安政3年7月13日生まれ。西ケ原蚕病試験場で蚕病を研究し,のち製糸機の改良をこころざす。明治37年に発明した20条の緒をもつ御法川式多条繰糸機は片倉製糸紡績に採用され,実用化された。昭和5年9月11日死去。75歳。出羽(でわ)秋田出身。

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367日誕生日大事典 「御法川 直三郎」の解説

御法川 直三郎 (みのりかわ なおさぶろう)

生年月日:1856年7月13日
明治時代-昭和時代の発明家
1930年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報