チェンバーズ(読み)ちぇんばーず(英語表記)Ephraim Chambers

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「チェンバーズ」の意味・わかりやすい解説

チェンバーズ
Chambers, Robert

[生]1802.7.10. ピーブルズ
[没]1871.3.17. セントアンドルーズ
スコットランドの著述家,出版業者。兄のウィリアム (1800~83) とともに出版社 W.&R.チェンバーズを設立し,『チェンバーズ百科事典』 Chambers's Encyclopaedia (1859~68) を出版した。 1818年エディンバラで新聞スタンドの店員として働き始め,多くの文芸人と知己になる。なかでも詩人・小説家のウォルター・スコットは,チェンバーズの著書"Traditions of Edinburgh" (1825) を高く評価した。その後も自身の調査に基づく歴史,文学,地質学などに関する著作を数多く発表。『創造の自然史の痕跡』 Vestiges of the Natural History of Creation (1844) は物議をかもしたが,チャールズ・ロバート・ダーウィンはこの作品を「先入観を排除し,類似の見解を受容するための基礎を固めるのに大いに役立った」と賞賛している。 1832年兄ウィリアムとともに雑誌"Chambers's Edinburgh Journal"を創刊し,これが W.&R.チェンバーズの設立につながった。『チェンバーズ百科事典』はアンドリュー・フィンドレーターが編集を担当し,チェンバーズ兄弟が監修を務めた。

チェンバーズ
Chambers, John Graham

[生]1843.2.12. ラネリ
[没]1883.3.4. ロンドン
イギリスのアマチュア・アスレチッククラブ主宰者,ジャーナリスト。1867年に近代ボクシングのルールの基礎となるクイーンズベリールールを策定した。ケンブリッジ大学在学中,オックスフォード大学との対校ボートレース(→漕艇競技)で漕ぎ手として優れた成績を残し,1871年から 1874年まで母校の漕艇チームのコーチを務めた。1866年にアマチュア・アスレチッククラブを設立し,1880年にはアマチュア・アスレチック・アソシエーションの創設に貢献した。一方,1871年から死去するまで週刊誌『ランド・アンド・ウォーター』の編集に携わった。

チェンバーズ
Chambers, Ephraim

[生]1680頃.ケンダル
[没]1740.5.15. ロンドン
イギリスの百科事典編纂者。編纂した『学術百科事典』 Cyclopaediaは,18世紀フランスのアンシクロペディストによる偉業の基礎を築いた。 1728年に『学術百科事典』の初版を出版。のちにその功績によりロイヤル・ソサエティ会員に選ばれた。ドゥニ・ディドロらによる『百科全書』 Encyclopédie (1751~72) の編纂は,当初『学術百科事典』のフランス語訳として始まったものである。

チェンバーズ
Chambers, Sir Edmund Kerchever

[生]1866.3.16. バークシャー,ウェストイルズリー
[没]1954.1.21. デボンシャー,ビア
イギリスの文学研究者。中世演劇エリザベス朝演劇の権威。オックスフォード大学を出て文部省に勤務 (1892~1926) 。『中世演劇』 The Medieval Stage (2巻,03) ,『エリザベス朝演劇』 The Elizabethan Stage (4巻,23) ,『シェークスピア-事実と問題点』 William Shakespeare: a Study of Facts and Problems (2巻,30) ,『中世末期のイギリス文学』 English Literature at the Close of the Middle Ages (45) などの著書がある。

チェンバーズ
Chambers, Sir William

[生]1723. ゲッテボルク
[没]1796.3.8. ロンドン
イギリスの建築家。スウェーデンで生れ,イギリスで教育を受けたのち,スウェーデンの東インド会社に入り,インド,中国などを航海。 1749年からパリ,ローマで建築を学び,55年イギリスに帰りプリンス・オブ・ウェールズ (のちのジョージ3世) の家庭教師として建築学を教えた。 61年から R.アダムとともに王室建築家となる。パラディオ主義を基調とし,代表作キュー・ガーデンズのパゴダ (1762) ,サマセット・ハウス (76~86) 。著書には『建築論』A Treatise on Civil Architecture (59) がある。

チェンバーズ
Chambers, Raymond Wilson

[生]1874.11.12. スタクストン
[没]1942.4.21. スウォンジ
イギリスの古代・中世文学研究者。1922~41年にロンドン大学教授を務めた。主著『トマス・モアの生涯』Thomas More(1935),"Man's Unconquerable Mind"(1939)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「チェンバーズ」の意味・わかりやすい解説

チェンバーズ(Ephraim Chambers)
ちぇんばーず
Ephraim Chambers
(1680?―1740)

イギリスの博学な評論家。ケンダルに生まれる。若くしてロンドンに出て、地球儀と計算機器製作者の徒弟となり、技術と新しい科学の学習を続けた。そのうちに百科事典の構想を固めて、学者に執筆を依頼するとともに自分でも起草し、1728年に『百科事典、また芸術科学の世界辞典』二冊Cyclopædia, or an Universal Dictionary of arts and sciencesを出版した。当時イギリスは国力が充実し、ブルジョアジーの勃興(ぼっこう)で紳士としての教養を求めていたので、大いに歓迎され、1738、39、41、46年と増刷を重ねた。また、イタリアのベニスでは、1748~49年にかけて、チェンバーズ自身の協力によって翻訳出版された。フランスではミルズらが出版しようとしたが果たせず、中止し、やがてディドロ『百科全書』出版の動機となった。自国内ではスコットが1753年に改訂版を出版し、リースAbraham Reesは1743~1825年に四巻の拡大版を出版した。

[彌吉光長]


チェンバーズ(Sir William Chambers)
ちぇんばーず
Sir William Chambers
(1723―1796)

イギリスの建築家。スウェーデンのイョーテボリに生まれる。イギリスで教育を受けたのち、スウェーデンの東インド会社に勤め、1740年から約9年にわたってインドや中国を航海。その後、49年パリのジャック・F・ブロンデルについて建築を学び、翌年から5年間、イタリアにおいてルネサンス建築の研究に専念した。61年にロバート・アダムとともに王室建築家となり、82年には建築総監にまでなっている。キュー・ガーデンのパゴダ(1757~63)やサマセット・ハウス(1776~86)が代表作で、著書に『公共建築論』(1759)がある。

[谷田博行]

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